1-11.明治42年頃・河村写真館 ← ・ → |
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上の写真も東京の写真館のものです。 着物姿の若い顔立ちの祖母が写っていますが、明治42年頃と思われます。 台紙には【河村● kawamura USHIGOME 牛込西五軒町】との印がありますが、牛込西五軒町は、現在も文京区に西五軒町と言う町名で残っており、神楽坂駅や飯田橋駅の近くになります。 ただ西五軒町には河村写真館はないようです。 また珍しく縦長の写真ですが、一人の撮影の場合縦長の方がすっきりとした感じもします。 写真下のマークを拡大しましたが、日本語と英語の可愛いマークです。 台紙は茶色っぽいもので、型押しが施されています。 また写真と台紙の間の和紙も、和紋が施された素敵な感じです。 下は明治から大正に入って間もない頃に撮影されたと思われますが、同じ河村写真館の撮影です。 椅子に手を添えるのは定番の撮り方のようですが、細長くはなく台紙のデザインも変わっています。 ただ写真の切り方が、記念撮影にしては若干斜めになっているようですが、これもこの時代の許容範囲なのでしょうかな。 この河村写真館は、大学にも出入りをしていたようで、大正時代初めに早稲田大学で撮影した写真も他の資料で見つけました。 写真下には銀のマークと住所が記載されていましたが、 【第一、東京牛込西五軒町 第二上野山下弁天堂前】となっています。 とすると、この河村写真館は、新たに上野の不忍池の近辺にも2軒目の支店を出していたようです。 下が台紙ですが、色もデザインも変わっています。 おしゃれな金の鏡に、女性が映っているように型押しされていますが、何よりも写真館の名の部分に【寫真學校】の文字が新たに加わっています。 とすると、写真学校も始めたのでしょうか? 他の資料の中でも、写真学校河村勇次が撮影したという写真もありましたが、一説には大正12年に設立された、東京工芸大学の前身の小西写真専門学校が日本初の写真学校と言われています。 この写真は少なくても大正5年よりも前ですので、それ以前に写真専門学校があったという事でしょうか? もしくは民間の認可を受けていないものだったのでしょうか? ちょっとした謎です。 |
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