昭和からの贈りもの 明治時代の出来事
明治時代の出来事 明治元年〜明治10年 1868−1877  

明治元年

明治の出来事と言えば王政復古の大号令により江戸時代が終わり、明治時代へ変わった事が第一にあげられます。
これらの舞台ともなった上野公園や寛永寺の事につきましては、第3章内【昭和5年寛永寺】に少し記載しております。

また同時に江戸から東京へと変わり、江戸城も東京城と改められ、皇居として明治天皇が入られますが、当初政府は『とうけい』と読ませていたものの、人々は『とうきょう』と呼んだことから『とうきょう』となります。

右の写真1は、【東京府史跡】に掲載の明治初年の江戸城の様子です。

現在の二重橋近辺から大手町方面を撮影したようですが、今も残っている富士見櫓や、かつてあった大名屋敷も伺えます。
尚、本文中の写真にも度々登場する祖祖父は江戸時代の生まれで、江戸・明治・大正・昭和と4つの時代を見てきたようです。

明治2年

明治時代は文明開化とも言われたように、さまざまなものが初登場しておりますが、隅田川の項目にも記載の向島の言問団子が売り出されたのはこの年の春です。


また日本人として初めてのパン屋さんが開店したのも同じ頃で、後に【木村家総本店】と称する事になりますが、【風月堂】もこの年からパンの製造を開始します。
この後木村家は【あんぱん】を考案し、明治天皇にも献上され、以降宮中御用商に加わりました。


これ以外にも横浜では【アイスクリーム】が登場したり、上野下谷では【焼き芋】が販売され人気を呼びます。


明治3年

4月に【人力車】の営業が開始されますが、その後60年から70年に渡って人々の足として利用され続けられました。
伯父の家の門も、そうした人力車が玄関まで入れるような造りになっています。(写真2)

キリンビールの前進であるスプリングバレー・ブルワリーが横浜山手に開業したものこの頃です。

また、各地の旧城郭が払い下げ、取り壊される事に決定し、順次お城は姿を消してゆきます。


この年に《平民苗字許可令》が公布され、平民でも苗字を名乗ることが許されます。


1.明治初年の江戸城・東京府史跡より


2.人力車が入れる造りの明治の門

明治4年

【廃藩置県】が制定され、全国261の藩が廃され、江戸城の半蔵・市谷など3つの櫓門や日比谷・数寄屋橋など21門も撤廃されます。

右は江戸城近くに残る一ツ橋見附の石垣跡です。(写真3)
現在は上を首都高速道路が通り、目立たない場所ですが、こんな所にも歴史が残っています。

地方でも島根県松江城が廃城と決定します。
その後天守以外は全て壊され、天守閣も米百俵で売却されかかりましたが、有志の運動によって天守閣だけはかろうじて取り壊しを免れます。
現在も当時もままの容姿を見せてくれる数少ないお城の一つとなっております。
実際に【松江城】に行ってみましたが、急な階段や銃眼、そして城を囲むお堀など、当時を偲ばせてくれる貴重な史跡ですね。(写真4)


飛脚や籠に代わって郵便がスタートしたのが4月20日で、東京〜大阪間を78時間で結ぶ事になりましたが、昭和に入りこの日は郵便記念日と定められました。
尚、この時郵便制度を導入した前島密は日本近代郵便の父と言われ、1円切手にその像が描かれています。(写真5)

5.前島密が描かれた1円切手


明治5年

この年になって《学制》が公布されます。
これによって日本の近代学校制度が出来、下等小学4年、上等小学4年の《4・4制》となります。


3月には博物館が創立し、翌月には日本で初の博覧会が、湯島聖堂大成殿で開催されます。
文部省博物局が全国の物産を集めて展示したものですが、名古屋城の金のシャチホコが大評判だったそうです(写真6)


6月には東京で初めての西洋料理店の【精養軒】が開店します。


記念日としては10月14日は《鉄道の日》と制定されていますが、日本最初の鉄道が品川〜横浜(現桜木町)に開業した事によります。
東海道本線の原点ですが、当時は単線で、24kmの距離を、旅客列車が一日二往復していました。



3.一ツ橋見附の石垣跡・平成19年7月

4.松江城・平成18年5月撮影

6.湯島聖堂の博覧会 珍物集覧・国立科学博物館より

明治6年

大正時代の項目でも上野公園が公園として整備された事を記していますが、上野以外にも浅草、深川、飛鳥山、芝の5箇所が日本で最初の公園として指定されます。


叔父の母校の東京外国語学校が開成学校から独立したのもこの年で、東京一ツ橋には【東京外国語学校発祥の地】碑が設置されています。(写真7)
尚、東京外国語の事に関しては、昭和16年以降で詳しく説明予定です。


明治8年

先の許可令に続き、《平民苗字必称義務令》が公布され、今度は苗字を名乗ることが義務付けられます。

許可令の時は、『苗字を名乗ることで税金がかさむのでは?』といった事から浸透しなかったようですが、今度は苗字を名乗る事が義務付けられます。


明治9年

幼稚園は幼児教育の場として大切な場であり、私たちも童謡の活動で各地の園に伺っていますが、幼稚園が日本で初めて出来たのがこの年で、神田の東京女子師範学校内(現お茶の水女子大学)に開園しました。

3歳から7歳までのの75人が入園し、日本最初の幼稚園となりましたが、設備も良い分、経費もかかった事から、『幼稚園はお金持ちの行くところ』というイメージが生まれ、普及が遅れる原因ともなりましたが、現在は幼稚園・保育園あわせて3万5千を越す程になっています。


先に公園として指定された上野公園が開園したのは5月で、明治天皇も出席されて開園式が行われます。
この時に当時の茶屋も取り払われ、新たに精養軒や八百善が開業しました。


明治10年

《富国強兵・殖産興業》のスローガンの基、開催されたのが、【第一回内国勧業博覧会】です。
この後5年おきに博覧会が開催される事となり、上野は博覧会の会場としての顔を持つことにもなります。(写真8)



7.一ツ橋にある東京外国語学校発祥の地碑


8.第一回内国勧業博覧会 各館内列品位置分割略図
国立科学博物館展示


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