明治時代の出来事 明治11年〜明治20年 1878-1897 ← ・ → | |||
明治11年 上野桜木に近いJR鶯谷駅近辺には、鶯谷という名の町はありませんが、これは江戸元禄時代の頃(1688-1704)、寛永寺の住職として京から赴いた皇族たちが『江戸の鶯は訛っている・・・』という事から、京より鶯を運ばせて数百羽をこの地に放ちました。 当時この一帯は、徳川家霊廟の火除地として一面が樹木や笹に覆われており、鶯は一気に育ち、次第にこの一帯は鶯の名所となり、「ウグヒスダニ」と呼ばれるようになったそうです。 そしてこの年春には、根岸の【鶯春亭】にて官員、華族や一般市民など5百人が集まって《鶯の鳴き声を聞く会》が開かれましたが、鶯谷にこだまする鳴き声は、さぞかし風流だったでしょう。 かつて谷があり、樹木が生い茂り、鶯が鳴いていたであろう場所は、今や谷は削られ、13本もの線路が並び、鶯ならぬ電車の音が鳴り響いていました。(写真9) 明治12年 文部省によって日本の音楽教育の為の【音楽取調掛】(旧東京音楽学校の前身)が設立されます。 翌年には東京府下の公立学校に唱歌の科目が新設されますが、この時歌われた曲のひとつが【君が代】です。 欧米の列国に習って国家を設けるべきという事で選ばれたもので、原曲は平安時代の歌とも言われています。 |
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明治13年 上野の東京芸術大学には、赤レンガの建物が建っていますが、これは旧教育博物館の書籍庫としてこの年に建てられた都内で最古の煉瓦建築物です。 赤レンガ1号館、2号館として親しまれているこの建物に、一度入ったことがありますが、内部の造りも明治時代のままのものが多く、今でも現役の校舎として使用されています。(写真10) 明治14年 【この年発表の唱歌】 蝶々、見わたせば(むすんでひらいて)、蛍(蛍の光) 【君が夜】【蝶々】【蛍の光】などを収めた初の音楽教科書の【小学校唱歌集初編】が刊行されますが、当初は日本人音楽家による曲で編集の予定だったものの、人材不足ということもあって、欧米のポピュラーな楽曲を用いる事なったようです。 |
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明治15年 3月には上野に博物館と動物園が開園しますが、動物園の開園当初は猛獣らしい動物はヒグマのみだったようです。 この上野動物園が人気となったのは、後に来日したイタリアのチャリネ大曲馬団が神田秋葉ケ原(現在の秋葉原)で興行していた時にトラが3頭の子を産み、そのうちオスメス2頭とヒグマ2頭と交換してからの事です。 以降さまざまな動物が上野動物園にやってくるようになりました。 尚、この時上野動物園内には【観魚室(うおのぞき)】と言われるものが開設されますが、これは淡水魚を水槽に入れたもので、日本初の水族館と言われています。 6月には新橋〜日本橋間に、軌道の上を走る日本最初の馬車鉄道が開通し、その後、浅草〜上野〜日本橋〜新橋が全線開通します。 神田には老舗のお店が多くありますが、伯父と何度か訪れた事のある神田の【藪蕎麦】の創業はこの年です。 現在も昔ながらの店構えと共に神田にあり、味もとてもよく、伯父も私も大好きなお蕎麦屋さんです。(写真11) また近くには明治17年創業の蕎麦店【まつや】もありますが、どちらも昔の雰囲気と味が備わった老舗です。 |
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明治16年 霞か雲か 後に日本一の繁華街となる浅草のたんぼを埋め立て、区画が六つの区に別れ、奥山にあった出店や見世物小屋が六区に移転したのがこの年です。(写真12) 以降浅草には、花屋敷や水族館が開園し、仲見世も新築され、ますます行楽客でにぎわっていきます。 【日本鉄道】によって上野〜熊谷駅が鉄道で結ばれたのもこの年ですが、これ以降上野駅は東北や北陸の玄関口として発展してゆきます。(写真13) 明治17年 仰げば尊し 今ではなくてはならない天気予報ですが、日本で最初の天気予報が出されたのは6月1日です。 現在も6月1日は気象記念日と言われています。 10月には上野の不忍池に競馬場が出来、上野不忍池競馬が天皇陛下を招いて開催されます。 また、不忍池で貸しボート屋が営業を始めたのもこの頃です。 現在も不忍池には足こぎボートがたくさん浮かんでいます。(写真14) 明治18年 チンドン屋が登場したのがこの頃で、楽隊を使った【広目屋】と当時は言われていたそうです。 先に開通した【日本鉄道】の上野〜熊谷がこの年に宇都宮まで伸びます。 同時に日本初の駅弁も宇都宮駅で販売されますが、この時の駅弁はゴマをかけた握り飯にタクアンと梅干が竹の皮で包まれて、5銭で販売されたそうです。 これが7月16日のことから、この日は《駅弁記念日》とされています。 明治20年 かぞえうた この頃の新聞で紹介されたのが、《欧米での風習のエイプリルフール(四月馬鹿)》です。 今では【エイプリルフール】が話題に上ることも少なくなってきたようですが、ある新聞では毎年4月1日に嘘のニュースが掲載され、たのしく拝見しています。 さて、現在普通に左側通行で生活をしていますが、警視庁よりこの【左側通行】の通達がなされたのもこの頃と言われています。 欧米では右側通行が多いことから反対意見も多くあったようですが、 『古来武士同士が右側を歩くと、刀の鞘が当たって争いの元になるし、左から不意に攻撃されると不利』 ということで、自ずと左側通行とし、それを踏襲して決定したそうです。 |
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