昭和からの贈りもの 第1章 明治35年〜明治末の記録

 1-9.明治41年頃・神田 工藤写真館   ・ 


 工藤写真館撮影・祖母13歳〜14歳/明治41年頃

こちらの写真の撮影年は不明ですが、前後の写真から見ますと前頁と同じ頃の明治41年頃に撮影されたものではないかと思われます。

前頁同様に鹿沼から上京し、跡見女学園在学中に撮影されたと思われますが、一緒に写っているのは、その他の女学校の写真にも写っていますので、同級生のようです。

バックの背景といい、足元のオブジェといい、明治の写真には共通したものがあるようですが、この時代の写真館共通のものだったのでしょうか?

写真は厚手の台紙に貼られており、 写真下には
【T Kudo NISHIKICHO KANDA TOKYO】
とプリントされ、台紙にも
【東京神田錦町 外国語学校前 工藤孝】と記載されております。


東京神田錦町 東京外語学校といえば、後に伯父が通う事になる大学ですが、明治41年頃は現在の学士会館の場所に外語学校はありました。
その前にあったと言う事は、今の博報堂近辺かと思われます。


またこの写真が貼られている台紙がとてもおしゃれで、百年も前のデザインとは思えない程です。

【工藤孝】と言う名と共に、
【PHOTOGRAPHIC ARTIST】
【3.chome NISHIKICHO KANDA TOKYO T.KUDO】
という英文字。
また【HONKYOKU TELEP No1720】ともありますが、これは電話番号の事のようです。

現在、神田錦町には【工藤写真館】はありませんが、この写真を撮られた【工藤孝】という方は、元々銀座でも江木塔としても有名だった江木写真館の腕の良い写真技師として明治中頃に務めていたようです。

そしてその後神田錦町にご自分の写真館を開かれたようですが、近隣には学校が多く、学生達がよく通っては写真を撮っていたそうですし、各大学の記録写真等も撮影していたようです。

台紙下には【種版番号6605】とも書かれていますので、1枚ずつ記録をしていたのですね。

写真も綺麗ですが、こうした台紙もデザイン的にとても素晴らしく、明治時代にこうした写真技術が伝わって今日に至ることが判る1枚です。



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