昭和からの贈りもの 第2章 大正時代

 2-22.大正12年・上野公園大佛下 1923   ・ 


大正12年 上野公園大佛の岳の下

現在の同じ位置 平成19年3月撮影

こちらの写真にも【とんび】を羽織った祖父の姿が写っていますが、写真裏には
《大正十二年写す上野大佛の岳の下平井君》
と書かれています。


桜の花びらと思われるものが地面にだいぶ散っているようですので、4月上旬から中旬の、桜が咲いてから散り始めに撮られたものと思われますが、カラー写真であれば更に鮮やかな事だったでしょう。

《上野大佛の岳の下》というのは、祖父が立っている右手の小高い丘に、かつて【大仏殿】があり、そこに大仏様がが鎮座していましたことからです。

そして祖父の丁度真後ろに、何かの屋根が見えますが、当時の面影を知る人によりますと、これは【時の鐘】の鐘突き堂になるそうです。

上野公園に【大仏様】があった事は、あまり知られていないようですが、最初に大仏様が御目見えしたのは、今から376年前の寛永9年(1631)です。

この少し前の寛永2年(1625)に、三代将軍家光の命により、江戸城の鬼門となる上野のお山に寛永寺が建立され、その境内に各御坊や【時の鐘】、【大仏殿】と共に【大仏様】も建立されました。

現在の寛永寺は、東京国立博物館の裏手の上野桜木近辺にありますが、元々は現在の公園入り口(上野公園派出所近辺)に門があり、今の大噴水の所に大きな根本中堂が建ち、国立博物館の場所に本坊ががありました。

花見の回廊となる桜並木は寛永寺の参道にあたり、その横の小高い丘に【大仏様】や【時の鐘】があったそうです。

下は同じ場所と思われる現在の写真ですが、桜の時期になると、花見の方々のブルーシートやロープ・看板等で一杯となり、こうした桜の花びらが地面一杯に散る光景は、全く見ることは出来ません。
昔は、さぞかし綺麗だったことでしょう。

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