昭和からの贈りもの 大正時代の出来事
大正時代の出来事 大正12年〜大正15年 1923-1925  →(昭和元年) 

大正12年1923 
月の砂漠、どこかで春が、春よこい、肩たたき、おもちゃのマーチ、夕焼け小焼け


現在新丸ビルや丸ビルが新装し、新しい東京のスポットとなった東京丸の内ですが、ここに丸ビルこと丸の内ビルヂングが出来たのが2月の事です。
地上8階、地下1階の近代的なビルとしてオープンすると、東京の新名所となり、以降丸の内には近代的なビルが次々建築されていきます。(写真20)


現在も赤い宝石として人気のさくらんぼですが、この年6月に冷蔵輸送が始まった事から、大阪や神戸でも販売されるようになります。


そして大正12年9月1日 11時58分に関東の地を襲ったのが関東大震災です。
東京街は灰燼と化し、震災による死者行方不明者は10万人を超す災害でしたが、この詳細については【大正12年・関東大震災】をご覧下さい。

さて、関東大震災の被害を受けた山手線ですが、9月14日になんとSLで運転を復活しています。
山手線を蒸気機関車が走る姿は一度見てみたいものです。

また12月には、震災で打撃を受けた魚河岸が、新しく築地にて開業します。
昭和初期には2万人を超す買出し人と、千台を越すトラックが集まってきたとの事ですが、以降築地は東京の台所として益々賑わっていきます。

その後震災復興事業としてさまざまな都市復興計画がなされ、東京は新しい都市へと変貌を続けることになります。
またこの震災をきっかけに、東京近郊の住宅が急速に開発されてゆく事になります。                        

21.昭和初期の丸ビル前・絵葉書

22.昭和初期の築地魚河岸

大正13年1924 兎のダンス、証誠寺の狸ばやし

この年一月には皇太子裕仁親王(昭和天皇)と久邇宮良子女王のご結婚式が行われました。
このご成婚を記念して、上野公園が宮内庁より下賜され、【恩賜上野公園】となりました。

先の関東大震災でこの近辺が火災に遭わなかったのは、寛永寺の僧侶や茶店の店員達が防火に努めた事と、不忍池の水が役立ったと言われ、実際に天皇陛下が視察をされ、改めて緑地や池が防災保安上重要であると認められての事だそうです。


【甲子園球場】が西宮に落成したのがこの8月で、当時は東洋一の規模の球場としてオープンし、この年の干支(甲子・ね)にちなんで、【甲子園球場】となりました。


海外では、シャネルの5番が発売されたのがこの年ですが、この頃の和服には到底合うものではないでしょうね。


12月には銀座松坂屋がオープンしますが、今までのデパートと違って下足の預かりがなり土足入場が出来るデパートです。

今では当たり前の土足入場ですが、かつては着物を扱う呉服店からの進出だった為、下足預かりが当たりまえでした。
次いで三越呉服店も土足入場となってゆきます。


純国産車のの【オートモ号】が市販されたのがこの年からです。
昭和3年までに300台が生産され、中国に輸出もされたそうですが、この市販に先立ち、試験走行では南は大阪から広島、北は仙台松島へと、延べ3万キロに及んだそうです。
また大正14年のレースでは、居並ぶ大型外国車を抜いて、予選では見事1位となり決勝でも2位に輝きました。

現在上野の国立科学博物館には、1999年に復元され、第35回モーターショー(2001年)に出品されたオートモ号が展示されています。


23.上野恩賜公園

24.純国産車のオートモ号・国立科学博物館所蔵

大正14年1925 あめふり、ゆうやけこやけ

雑誌【キング】が創刊されたのがこの1月です。
当時は【少年倶楽部】、【少女倶楽部】、【少年少女譚海】、等の雑誌が発売されていましたが、
「日本一面白い!日本一為になる!日本一安い!」
というキャッチフレーズもあってか、創刊で70万部という驚異的な売れ行きだったそうです。

因みに【幼年倶楽部】は翌大正15年に登場します。(写真25)


マヨネーズ好きの方をマヨラーとも言うようですが、国産初のマヨネーズが販売されたのがこの年3月です。
後のキューピーマヨネーズですが、発売当初はポマードと間違えられ、売れ行きは散々な状況だったようです。


また日本で初めてのラジオ放送が開始されたのも3月で、東京放送局(現NHK)の芝浦仮スタジオでスタートしました。
そして7月には愛宕山放送局が完成し、ラジオ本放送が始まると同時に、ラジオドラマや英語講座等の番組も始まり、また聴取料の徴収も始まりました。
現在も愛宕山には放送博物館として当時の建物や、ラジオ関係のもの等が展示されています。


大学野球に東大が加わり、現在の六大学野球が始まったのが、9月です。


11月には御徒町駅が開業し、御徒町〜神田間は高架となり、貨物の駅だった秋葉原駅が旅客営業を開始しましたが、それまでの「のノ字」運行だったものが、現在のような環状運転になりました。

また今では馴染みのある「クレパス」「頭痛薬のケロリン」「フルヤミルクキャラメル」もこの年登場です。





25.昭和初期のキングと付録

大正15年 1926

【昭和5年・東京府美術館】にも記載しておりますが、東京府美術館が開館したのが、この年8月です。(写真25)


8月には日本放送協会(NHK)が発足し、翌年には全国中等学校野球大会(現高校野球)を甲子園より中継し、スポーツ実況放送の始まりとなりました。


千駄ヶ谷に明治神宮外苑が完成したのが10月で、野球場や相撲場等が併設され、これを機に六大学野球も神宮球場で開催されるようになり、前述の高校野球の実況中継もあって、野球熱が益々高まって行きます


そして12月25日に葉山御用邸で病気療養中だった大正天皇が崩御され、大正に幕を閉じます。


26.東京府美術館・絵葉書

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