昭和からの贈りもの 大正時代の出来事
大正時代の出来事 大正4年〜大正8年 1912-1914  

大正4年 1915

この年登場したものに【シャープペンシル】があります。
早川兄弟商会金属文具製作所が発売したもので、発売当時は【早川式繰出鉛筆】と言われていました。


7月2日は《たわしの日》とされていますが、これは【亀の子たわし】の特許が取得された日です。
明治40年に初めて発明され、以来全国で人気となり《特許として価値あり》と特許権を得ますが、以来製法などは現在まで一緒です。
写真は現在も古いたたずまいを見せる【亀の子たわし西尾商店】です。(写真8)


【婦人之友】が家庭用仕事着として割烹着を発表したのが9月と言われています。
これ以降、割烹着は主婦の家庭着として全国に広まります。


11月には日本で初めてチューインガムが登場します。
当初は《噛み菓子》として、そして《世界的煙草代用品》として販売されました。

8.亀の子たわし西尾商店
【銀ブラ】と言う言葉が流行し始めたのもこの頃と言われています。

この【銀ブラ】とは銀座をブラブラする事と思っており、私も何度となく銀座をブラブラと散歩をした事がありますが、実際の意味は『銀座に出来た「カフェーパウリスタ」で一杯五銭のブラジルコーヒーを飲む』という事が『銀ブラ』と称され、それがこの年頃から口伝えに流行したそうです。

この「カフェパウリスタ」は現在も銀座で営業を続けており、現存するカフェでは老舗中の老舗です。
そんな訳で、改めて【銀ブラ】に行ってきたのが右の写真です。(写真9)


大正5年 1916

東京では最近はアドバルーン広告を見ることが少なくなりましたが、1月に【福助足袋】が宣伝用の大型アドバルーンを揚げ、これが日本のアドバルーン広告の始まりと言われています。


4月1日はエイプリルフールですが、この風潮が紹介されたのは明治初期です。
そして再度ヨーロッパから伝わり日本でも流行りだしたのがこの年頃からです。

新聞にもこの日は、年に一度の笑えるような【嘘の記事】が掲載され毎年楽しく拝見していますが、かつては、さぞかしまことしやかな嘘がささやかれたでしょうね。


【ジャズ】という言葉が始めて登場したのが、この年10月です。
アメリカの芸能専門誌が『シカゴでジャズバンド結成』と報じた事からによります。


既に浅草六区の映画館街は大変な人気でしたが、チャップリンの喜劇映画も登場し、一気にチャップリン映画が人気となり、翌年には日活が日本での興行権を2万円で獲得します。

                                                    

9.カフェーパウリスタ

10.1918年当時のチャップリン

大正6年 1917

大正時代の本にもありますが、【主婦の友】が刊行されたのが2月です。

今ではさまざまな主婦向けの雑誌がありますが、当時としては貴重な主婦向けのバイブルといった雑誌だったようで、主婦向けの雑誌が相次いで出版されるようになります。
写真11は、その【主婦の友】社が大正8年に発行した【嫁入文庫・女中の使ひ方】と、昭和初期の【主婦の友】付録の【大東京名所絵】です。


【駅伝】は毎年テレビで中継されたりしていますが、日本で初めてこの【駅伝】が始まったのが、4月の事です。
しかも現在の駅伝とは異なり、なんと京都三条大橋〜上野不忍池間を関東と関西対抗で、しかも昼夜続けて行われたそうです。

【東海道53次駅伝競走】として開催されたこの競争は、東海道53次の《駅舎》にちなんで《駅伝》と言われますが、現在の【箱根駅伝】が始まったのが、3年後の大正9年のことです。


チャップリンの登場で、ますます人気となった【活動写真】ですが、同時に風紀の乱れなどから、警視庁によるフィルムの検閲、児童鑑賞禁止、男女席の分離、弁士の免許制といった規則が厳しくなります。
同時にこの頃から【活動写真】から【映画】と呼ばれるようになります。


女性にとって画期的な出来事として、資生堂から【七色粉白粉】が発売されました。
個人の顔の色にあわせるようにと《白、黄色、肉黄色、ばら、牡丹、緑、紫》といった色があったそうです。

11.大正8年刊 女中の使ひ方の巻・昭和初期の付録

大正7年 1918 浜辺の歌、赤い鳥

この年1月1日には警視庁で白バイならぬ【赤バイ隊】が登場しました。
自動車台数が1300台となり、交通事故が増えてきた為だったようですが、時速16kmを超えると取締りの対象となったそうで、今では考えられないことですね。
でもある意味ではそれくらい、この当時のスピードがゆっくりだったということですね。

右がその【赤バイ】ですが、現在も京橋の【警視庁博物館】で見ることが出来ます。(写真12)


また、鉛筆やシャープペンシルに続き、【パイロット万年筆】が1月に販売されます。


5月には宝塚少女歌劇が帝国劇場にて東京初公演を行います。

演目は【3人猟師】【雛祭】【ゴザムの市民】などですが、私たちの大先輩である天津乙女さんが入団されたのもこ
の年です。


現在でこそ【童謡】という言葉は一般的ですが、この【童謡】と言う言葉は使われ始めたのが7月に、鈴木三重吉が刊行した童話誌【赤い鳥】からと言われています。
それまでは《唱歌》や《わらべ歌》として子供たちの歌とされていましたが、『子供に向けて創作された芸術的香気の高い歌謡』として童謡が登場してゆきます。


チョコと言えばミルクチョコが浮かびますが、日本で初めてミルクチョコレートが販売されたのが【森永ミルクチョコレート】の10月です。


この年の大きな出来事としては【米騒動】があげられます。
第一次世界大戦の影響で物価が上がり、特に米の価格が天井知らずとなり、富山県で起こった騒動が全国に広がり、百万人までの規模となり、十万人の軍隊を動員してようやく鎮圧したそうですが、手元にある当時の新聞を見ましても、全国各地で米騒動が起こっている記事が並んでいます。


またこの年に終了した第一次世界大戦ですが、その終戦に影響をもたらしたといわれるのが、スペイン風邪の世界流行です。
全世界では全人口の半分と言われる6億人が感染し、五千万人の死者を出し、日本でも38万人が亡くなったとも言われます。


松下電器や三菱商事が創業したのもこの年で、また日本初のインスタント食品ともいえる玉露圓の【昆布茶】もこの年登場です。

そして伯父は大正7年11月に上野桜木で産まれました。



12.大正7年に登場の【赤バイ】・警察博物館蔵

大正8年 1919 背くらべ、靴が鳴る、かなりや

3月に中央線の万世橋〜東京駅間が開通し、山手線の【のノ字運転】が始まりました。
但し、上野−神田間は開通しておらず、現在のような環状運転となったのは、この6年後の事です。


4月には【史蹟名勝天然記念物保存法】が公布されます。
根岸にあった【御行の松】も大正15年に東京市の天然記念物に指定されましたが昭和3年に枯死します。(詳細は【昭和4年トーゴーカメラ時代】)
尚、大正15年に天然記念物に指定された麻布善福寺の大銀杏は、東京大空襲にも耐え、現在も勢いの良い姿を見せてくれます。


現在のけん玉のスタイルが実用新案として登録されたのがこの年5月です。
この時は【日月ボール】と称されていましたが、以降ブームが何度となく訪れることになりますが、昭和8年のけん玉の写真は【昭和8年・けん玉】に掲載しております。


初恋の味で知られる【カルピス】が発売されたのがこの年7月7日です。
七夕さまという事で天の川をイメージした水玉模様の包装紙となり、現在もパッケージとして使われていますが、世界初の乳酸菌飲料でした。

創業者がモンゴルで飲んだ飲み物をヒントに作ったもので、馬乳酒と似た酵母が使われていると言う事は、最近まで企業秘密として秘されていました。(写真13)

13.昭和初期のカルピス絵葉書

また、明治屋が【コカコーラ】を輸入販売したのもこの年と言われ、8月には「世界的飲料」として広告も出ましたが、最初の頃の評判はあまり良くなかったようです。


現在も日本を代表するデパートの【高島屋】、【松屋】、【白木屋(元東急百貨店日本橋店)】が開業したのが8月の事です。


また【交通信号】のはしりとも言えるも【木製信号器】が登場したのもこの年9月で、上野広小路交差点に設置されたそうです。

ただ信号と言っても手動式で、《トマレ》《ススメ》と書かれた看板を手動で操作をしていたそうです。(写真14)

14.大正8年に上野広小路に登場した信号・絵葉書より抜粋

右は大正8年発行の【善光寺御みやげ】です。
善光寺の山門や本坊、お参りの道中や御内陣開帳など色鮮やかな版画で描かれています。

現在でこそポストカードや写真集などが観光名所のお土産として売られていますが、大正時代はこうした【浮世絵】のような版画がまだまだ多く刷られていたようです。

もっともこうした浮世絵は、印刷技術の進歩やカメラの普及によってだんだん姿を消してゆく事になります。


15.大正8年発行の善光寺みやげ

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