大正時代の出来事 大正9年〜大正11年 1920-1922 ← ・ → | |||
大正9年 1920 しゃぼんだま、叱られて、十五夜お月さん 初詣では、日本一の参拝者となる明治神宮が創建されたのがこの年です。 現在も人気の【箱根駅伝】が始まったのがこの年2月です。 大正6年の「東海道駅伝徒歩競走」が行われたのをきっかけに、各大学に参加を呼びかけ、早大・慶大・明大・東京高師(現筑波大)の四校が参加し、第一回大会は「四大校駅伝競走」と称されました。 5月1日に日本最初のメーデーが横浜公園で開催され、翌日には上野公園でも開催されますが、当時は「労働祭」と言ったそうです。(写真15) この年【婦人之友】という雑誌が女中に変わる言葉を募集して選ばれたのが【お手伝い】です。 今もこの【お手伝い】という言葉が浸透していますが、この頃から女性が働くことも増えてきたそうです。 |
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大正10年 1921 ゆりかごの歌、赤い靴、赤とんぼ、てるてるぼうず、七つの子、どんぐりころころ 子供達なら必ず一度は手にするものに【クレヨン】がありますが、【桜クレイヨン商会(現サクラクレパス)】が創業したのがこの年です。 このクレヨンの登場によって、絵を描く想像力が、より豊かになったと言えるでしょうね。 プロマイド専門として現在も浅草にある【マルベル堂】が開業したのは5月です。 当時は東京には10軒程のプロマイド屋があり、1枚10銭で販売をしていました。 子供達の想像力と言えば、【地球ゴマ】も登場しました。 地球の自転・公転を説明が出来ると言うことから、地球ゴマと名付けられましたが、ジャイロスコープの原理に基づいて作られた、純国産玩具で、単なる玩具としてではなく、科学教育教材としても使われる、今で言う知的玩具ですね。 科学と言えば、現在の国立科学博物館である、旧東京教育博物館が、湯島から上野に移転して来たのが6月です。 その後改装され、現在の国立科学博物館の外観となったのはこの後のことですが、その当時の写真も何枚かありました。 そして【メートル法】が定められたのもこの年です。 それまでの尺貫法から変わったものですが、まだまだ尺貫法が流通していたようで、伯父の古い【ものさし】等は、尺のものが多く有りますし、現在も舞台では尺貫法が使われているようです。 浅草松屋デパートの向かいにある神谷バーが、現在のようなビルになったのが、この年です。 明治初期には一杯売りの酒店として営業していたそうですが、今でも古い佇まいを残しています。 大正11年 1922 黄金虫 「一粒で三百米」でお馴染みの【グリコ】が大阪の三越百貨店で販売されたのが二月です。 現在のようにお菓子が氾濫している時ではなかった事もあって、あっという間に子供達の人気となったそうですが、この後の昭和2年に[おまけ]が登場すると、更に大人気となったそうですが、実際には前年の大正10年から、大阪で試験販売がされていました。 ところでこのグリコですが、牡蠣エキスのグリコーゲンを使用している事が【グリコ】という名の由来となっています。 |
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東京上野で【平和記念東京博覧会】が開かれたのが3月10日から7月31日までの事で、第一次世界大戦後の平和を祈願して開催され、期間中1100万人の入場者で賑わいます。 先の名古屋で開催された愛地球博の入場者数が2100万人でしたので、この大正時代で1100万人とは驚異的な数字です。 上は第2会場となった不忍池の様子で(写真18)、右、特に大人気だったという水上飛行機です。(写真19) 飛行機とは言っても実際は空中には浮かばないものですが、本物のエンジンを積み、爆音をとどろかせて不忍池を周回していたそうです。 この他ラジオの試験中継が行われたり、ミルクホールならぬココアホールやビアホールも登場しました。 これ以外にも【文化住宅】という建物が登場し人気を博し、これ以降【文化○○】という言葉】が人気となり、各地で【文化村】が出来、【文化○○】という言葉が使われたそうです。 エジプトでツタンカーメンの墓が発見されたのがこの年です。 現在でも度々博物館等で展示されますが、なんと随分と前に発見されたものですね。 アインシュタインが来日したのもこの年11月で、東京以外にも、大阪、京都、仙台でも講演を行ったそうで、アインシュタイン人気が高まったそうです。 |
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