2-5.大正5年・水神八百松 ← ・ → |
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少し色あせてはいるものの、台紙に貼られた古い写真が出てきました。 裏面には《大正五年四月拾六日 鐘紡観櫻會 水神八百松ニ於テ・友・主人 撮影》と墨で書かれています。 この【水神八百松】とは、森鴎外や小山内薫の小説をはじめ落語にも登場する、江戸時代から続く有名な向島の料亭【八百松】の事です。 写真を見ると【八百松】らしく立派な松の樹が見えます。 この近辺はかつては松が生い茂っていた場所でもありますので、やはり松が屋号の由来なのでしょうか? 木や竹で組まれた川床のような桟敷も見えますが、後ろには石垣が組まれており、よく見ると桟敷の下は沼か川のようで、柱が反射して写っています。 左側の建物も石組みの土台の上に太い柱で支えられており、こちらも川か堀に張り出しているようですので、元々後ろが母屋で、もっと良いロケーションで花見等をするように、張り出し部分が後から造られたのでしょうか? 《鐘紡観櫻会》と言う事は、当時勤め先の斉藤商店でお付き合いのあった鐘紡の方々を花見に招いたものと思われますが、この【八百松】から程近い隅田川沿いの鐘ヶ淵に鐘紡の工場がありました。 《友・主人撮影》と言うことは、この八百松のご亭主が祖父のご友人で、その方が撮影されたと思われますが、着物姿の方がいらっしゃれば、洋服姿の方もいらっしゃいます。 また、祖父の隣ではお酌をしてもらっているようです。(前列右角が祖父) この【八百松】は、江戸時代からお役人や政治家、役者さん等各界の著名人が利用していたといういわゆる高級料亭で、料理としては焼き鳥料理が名物だったそうです。 ここより少し下った同じ隅田川沿いの枕橋には、支店を出していたほど繁盛していたとのことですが、枕橋の支店の写真は時々本等でも見かけますが、水神の八百松の写真はあまりないようです。 桜の名所だけあって、写真の場所からの眺めはそれは見事な光景だったのでしょうね。 |
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