2-1.大正時代・斎藤弁之助商店 明治時代← ・ → |
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威勢の良い感じの揃いの半被姿ですが、これは祖父が勤めていた日本橋小舟町【斉藤弁之助商店】の店頭での写真で、前列真ん中が祖父です。 お揃いの半被には【斉藤商店】という名が入り、提灯には【斉藤糸店】と描かれています。 腰掛けたり手を置いているのが、糸の俵と思われますが、皆さん手には手鍵を持っています。 かつて小舟町には堀留川という川があり、荷物の運搬はもっぱら舟でしたので、この手鍵を使ってこれらの俵を舟から運び込んだりしていたのでしょう。 足元は雪駄に頭には鉢巻で、正に威勢の良い日本橋の若い衆といった感じがしますが、写真中程の祖父の左後ろの男性のみ格好が違いますが、この方が当時の若旦那です。 【斉藤弁之助商店】があった日本橋小舟町2丁目には、江戸、明治、大正と問屋の進出が続き、綿糸・綿布問屋以外にも、鰹節問屋、荒物乾海苔問屋、畳表問屋、等が軒を並べており、時代劇でも良く出てくる回漕問屋等もあったそうです。 また、こうした問屋関係の中でも、団扇問屋は江戸錦絵の美人画や役者絵を全国に知らせることに大きく貢献したそうで、現存している版画等は、世界の美術館にて展示されています。 そうした問屋の街に【斎藤弁之助商店】はあり、綿糸関係の問屋でもトップクラスの商店だったそうで、紡績関係やさまざまな商店や百貨店とのお付き合いも多かったそうです。 現在も【小舟町】の名こそ残ってはいるものの、すっかり様変わりをしています。 関東大震災後の震災復興事業で、東と西にあった掘割も埋められ、魚河岸同様に河岸も全て姿を消し、かつての問屋街はビル群で埋まっています。 この写真1枚を見ただけでも、明治終わりから大正時代にかけての日本橋問屋街の一面が伺えます。 尚、【明治39年 斉藤弁之助商店】には、更に古い店先や、小舟町の様子を掲載しております。 |
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