昭和からの贈りもの 第1章 明治35年〜明治末の記録

 1-15.明治43年頃・跡見学校   ・ 


明治42年冬〜43年春・跡見女学校前での写真

祖母が通っていた跡見学校(現跡見学園)時代の写真がもう1枚ありました。
明治42年・跡見学校】の時の写真と同じ建物の前ですが、微妙に違う写真です。
また撮影は前回と違って【吉美写真館】が撮影したものです。

服装を見ますと、前回の写真と同じく袴姿ですが、こちらは羽織を羽織っており、後ろの木も葉がありませんので、明治42年の冬から翌43年の春先にかけて写真かもしれません。

女学生はみんな髷姿ですが、この頃は【跡見髷】という跡見学校独特の髷があったそうです。
としますとこのスタイルが髷が跡見髷だったのかもしれません。
また頭には皆さんリボンのようなものを付けていますが、こうした飾りも含めて跡見髷と言い、この時代の精一杯のおしゃれだったのかもしれませんね。

写真のリボンについてですが、新しいことが判りました。
この写真が撮影される前の明治40年頃に日本で初めてのミスコンテストが行われたようです。
この時は優勝者には300円相当の宝石が贈呈される告知がなされ、全国から7000名に及ぶ応募があったそうで、こうした事をきっかけに、女学生でもリボンをつけるなどのおしゃれが流行したそうです。
因みに 【2-10.明治42年・跡見学校】の写真にもリボンをつけた女学生の様子が写っていますが、その時は4〜5名のリボン姿でしたが、1年後には倍の10名近くがリボン姿です。
これが流行という流れに沿った当時の女学生の姿かも知れません。
2011年8月5日フジテレビ系で放送された『その顔が見てみたい』でこうした記事と共に上記写真が掲載されました。


明治期の跡見髷?

中ほどが当時の先生

裏には女子生徒さんたちの氏名が書かれていますが、先生も一緒のようです。
さすがに先生の髪型は、跡見髷ではないようですが、意外と若い先生で、 【明治42年・跡見学校】の時と同じ先生のようです。


この時代の【跡見学校】は小石川柳町にあり、現在の文京区小石川1丁目の柳町小学校がある場所にありました。
一方撮影の【吉見写真館】は【跡見学校】から安藤坂を下った、現在の春日1丁目近辺にあったようですので、写真館が学校に出向いて撮影したようです。

大正時代に入ると、東京の女学校の間で写真館が御用聞きに来て、写真を写す事が大流行したそうですが、既に明治時代の終わりから、そうした事があったと言うことでしょう。

 

平成23年11月から1ヶ月間、上記写真が跡見学園の学校広告として山手線の車内中吊広告に掲載されることになりました。
以下がその中吊広告ですが、明治の女学生と平成の女子学生が並び、キャッチコピーがピッタリの広告になっている感じがします。
平成23年11月で93歳になる伯父も、明治時代のお母さんが写るこのポスターを見てとても喜んでいました。
また私にとっての祖母でもあり、100年前の祖母が当時は無かった山手線を1週すると言う不思議な感じです。


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