4-48.昭和8年・上野動物園 3 ← ・ → |
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左の写真は、上が昭和8年の上野動物園のサル山で、下は平成19年のサル山です。 山の形や吊り梯子といい、左右の写真とも色さえ合えば同じに見えますが、実際には75年程の差があります。 このサル山がお目見えしたのは、写真が撮られた2年前の昭和6年の事です。 上野動物園開園五十周年記念の改築の一環として、千葉県内房の鋸山等房総の山々を参考にして建設されたという、日本初のサル山です。 このサル山が出来たおかげで、今まで以上にサル本来の姿を見ることができると評判になり、以降こうしたサル山は、日本各地の動物園に広まります。 確かにサル山の前はいつもたくさんの人で一杯で、ニホンザルの仕草など見ていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。 古い写真にもニホンザルの姿が何匹か見えますが、なんとサル山が作られた当初は、ニホンザルではなく、アカゲザルやカニクイザル等が放たれたそうです。 当時はニホンザルの価格が高価だった事がその理由だそうですが、結局アカゲザルは日本の寒さに耐えられず、衰弱して行った為に、現在のニホンザルになりました。 当初は十数匹だった数も、毎年のように小猿が誕生し、現在では40匹を越すほどの大所帯になっています。 尚、この当時の上野動物園の入園料は、大人15銭、子供10銭で、現在のように東園と西園と分かれておらず、東園の部分のみだったようです。 (現在は大人600円、小学生及び都内在住在学の中学生は無料) |
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今度はヤギ舎ですが、ずいぶんヤギがいますいます。 猛獣などと違って、こうしたヤギなどは手に入れやすく飼育もし易かったのでしょうね。 柵も木製の簡単なものに見えますが、写真奥に見えるのがサル山のようです。 下はヤギに餌をあげているようですが、現在も上野動物園には動物たちとふれあえるコーナーがあります。 子供たちにとっては、餌をあげたり、触ったりする事は、今も昔も興味深いものだったのでしょう。 ところで、写真に写る女の子の服がセーラー服です。 セーラー服が女の子の制服として登場したのは大正中頃ですが、一般的に普及するのは戦後のことですので、この頃で着ているのは珍しいですね。 因みにセーラー服が登場する前の女学生の制服は袴ですが、その袴姿の女学生の写真は【明治40年・祖母・高等女学校】、【明治40年・祖母・高等女学校】、【明治42年・跡見女学校】などで見る事ができます。 この時は兄弟で上野動物園に来ていたようです。 上は伯父と4男で、右は3男と4男の伯父ですが、みな学校の制服姿ですね。 この頃の子供たちの外出着といえば、学校の制服だったそうですので、やはり上のセーラー服も学校の制服なのでしょう。 上の写真にも結構多くの人が写っていますが、やはり前述のように、この日は日曜日で、また上野動物園にさまざなま動物がやってきた事から、たくさんの人たちが動物園に来ていたのでしょう。 |
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そしてこちらは、上野動物園や博物館の玄関口として昭和8年12月に開業した京成線の【博物館動物園駅】ですが出来たのもこの昭和8年12月の事です。 国会議事堂の屋根と似たモダンな駅舎ですが、帝室博物館(現東京国立博物館)の敷地内に建築されたことから、天皇陛下が出席なさる御前会議でこの駅のデザインが決まったそうです。 ただ、上野駅から近すぎた事や、ホームが短かく4両編成分しかなかった事、そして何よりも上野動物園の入り口が変わり(以前はこの駅から歩いて2分ほどの場所)、駅利用客が減った事などから、平成9年に休止駅となり、現在は廃駅となりました。 現在は入り口は閉ざされ中には入れませんが、京成線に乗車すると、この【博物館動物園駅】のホームを見る事ができます。 余談ですが、人気漫画の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でも「幻!?の博物館動物園駅の巻」として登場しています。 尚、この時同時に開業したのもう一つの駅が【寛永寺坂駅】で、この駅のことは【昭和10年頃・京成電鉄寛永寺坂駅】に詳しく記載します。 |
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