3-23.昭和5年・貸家   ・ 

上野桜木界隈/昭和5年

こちらの写真は自宅近くの家の前で撮られた写真ですが、三男、四男、五男の兄弟と、左後が近所のお友達のようです。
みんな下駄履きに、短パンと、シャツ姿ですので、夏のようです。
五男の父は大きなお腹に腹巻のようですが、皆が立っている後ろの塀に貼られている紙には「貸家」という文字が見えます。

この頃は不動産という考えは少なく、当然のことながら不動産屋を通して土地を売買したり、貸借するようなシステムはなかったそうです。


また【自宅・地賃領収證】 のページにも記載しておりますように、この頃の上野桜木界隈は、寛永寺の寺社領となっていていました。
その為、建物は別ですが、土地に関しては寛永寺と借地権の契約を結んでおり、そういった事からも不動産屋さんのような役目を担うのは、差配所の役目だったそうです。
こうした土地や家屋に関しては、何も上野桜木界隈のみではなく、東京の家々はこうした借地や借家が多かったそうです。

こういった事から、空き家が出た時等は、不動産屋に通すという事ではなく、もっぱら写真のように【貼り紙】等を貼る事の方が圧倒的に多かったようです。
また、空き家を探す人たちは、ひたすら住みたい町を歩き回って張り紙を見ていたそうです。

伯父の家の近くに住んでいた川端康成も、上野桜木で居を転々としますが、散歩をしながら、こういった張り紙を探しながら、その都度引越しをしていたのでしょうね。




こちらも昭和5年夏頃の自宅前ですが今は見かけることのないような長い塀が続いています。
上の写真と比較しても、家々によって塀の形状が少し違っているのがわかります。
服装も更に涼しそうですが、足元の下駄は変わりませんね。


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