3-18.築100年以上の家 2   ・ 

床の間と網戸とミシン

昭和7年頃の床の間

こちらは家の内部の写真になります。

まず左の写真は東側の縁側と床の間ですが、縁側には古いミシンが見えます。

床の間には掛け軸が掛かっていますが、伯父はこうして掛け軸をかけて眺めるのが大好きだったそうで、色々な掛け軸が残っていました。

また樹木の皮が残り、細工が施された柱は、檜の一本柱です。

そして左下は昭和初期の同じ床の間の前の写真ですが、祖父と暖をとっているのは兄弟です。

左側は丸い形に空いていますが、何の為のものかは判りませんでしたが、確かに不思議な空間の穴が空いていました。

網目の格子戸と障子戸と違っていますが、夏は風を通しやすい網の格子戸で、冬は障子戸に替えていたようで、こうした所にも、古くからの日本人の知恵が詰まっています。

風通しが考えられた格子戸

こちらは同じく南側の縁側になりますが、床の間にも格子が入り、また、格子戸の下の方にも風通しの為の細工が施されており、全体的に風を考えた明治時代ならではの趣がうかがわれますね。

また真ん中の椅子は籐の椅子ですが、現在も我が家の現役です。




裏庭の手水や庭石

昭和初期の裏庭灯篭

こちらの写真は縁側の外にある庭です。

真ん中には大きな石が見えますが、かつてこの位置の家の外にお手洗いがあったそうです。

その後昭和初期の改装の時にお手洗いは屋内に設置されていますが、その際の手水のようです。

明治大正時代は、まだお手洗いの事を【ご不浄】とも言っていた時代で、家の外にある事が普通だったそうです。

下の写真は昭和初期の庭での伯父ですが、手には蛙が乗っているのでしょうか?

その先には灯篭が見えますが、こうした庭石や灯篭もあって、一部は近くの根津神社に奉納させて頂きました。

明治・大正・昭和・平成と百年を超える時を刻んだこの家は、今はもうありませんが、写真の柱や、細工の施された戸、欄間等、教授のおかげで、谷中近辺の家々の一部として再利用され、古いミシン等も東京芸術大学の寮に引き取られて行きました。




電気のスイッチ

レトロな電灯

こちらは部屋の壁に付いていたものです。
この四っの丸いものは、一見何だか判らないと思いますが、実は屋内の電気のスイッチになります。

ただ上下に上げ下げするスイッチがあるだけですが、見るからにレトロな感じがします。

そういえば、昭和30年から40年代頃の古い家屋では、こうした感じのスイッチも多かったかも知れません。

そしてその下が、スイッチで点く電灯ですが、こちらもまたレトロです。

丸いカーブが綺麗で、現在配線と共に我が家にありますが、電気の配線が現在のものと異なっており、今の家で点けるには何やら道具や工事が必要のようです。

でも今の蛍光灯にはない、独特なほんわかした灯りですね。


下は家の真ん中にあった急な階段と食器棚です。

階段はとても急で、いかにも古い感じがしますが、現在は谷中界隈の民家の階段に利用されています。

食器棚は、中ほどが手前に引けるようになっており、一番上の部分は網戸になっていて、結構使い勝手がよさそうな食器棚ですが、何と名板を見ますと【高島屋製】となっており、大正末から昭和初期にかけて、高島屋が製造していた食器棚のようです。
伯父が子供の頃にはあったということですので、少なくでも80年以上は経っている食器棚です。

こうした写真を改めて見ますと、さまざまなところに細工や知恵がふんだんに入った家という感じがしますね。



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