3-15.昭和5年・逗子海岸 3 ← ・ → |
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写真と一緒に、逗子海岸近辺の観光絵葉書が十六枚ほど出てきました。 絵葉書が入ったカバーには《逗子二十景》となっていますので、本来は20枚あったのでしょうね。 写真下には《東京灣要塞指令部第四00號許可済》という印があり、何時頃のものかは不明ですが、相当古そうな逗子の海岸や街並みが記されていましたので、実際に訪ねてみました。 |
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こちらには 《相州逗子 海岸の涼味》 と記載されていますが、今や海岸に並んでいるのは、ボートではなくウインドサーフィン等に変わっています。 伯父が撮影した写真よりも、海岸線の護岸が進んでいますので、昭和5年よりももう少し後の海岸線でしょうか? |
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こちらは 《相州逗子 富士見橋》 の印がありますが、逗子海岸に流れる田越川と富士見橋のようです。 未舗装の道路には荷馬車が見え、川沿いの欄干は木製ですが、今や綺麗に舗装され、橋も堅固な橋に変わっています。 かつては、この橋から富士山が綺麗に見えたそうですが、現在はどうなのでしょうか? |
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《相州逗子 浪子不動下海岸》 と記載されています。 岩場で遊ぶ人たちや、可愛い水着の女性が写っていますが、浪子不動は現在も海岸の近くにあります。 が、写真のような岩場は埋め立てられ、国道134号線が通っており、古い絵葉書の景色は全く伺う事ができなくなっています。 |
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こちらは 《相州逗子 田越橋》 との記載ですが、現在も川の形は同じように見えますし、古くから護岸されていたことがわかります。 この【田越川】は別名【御最期川】とも言われています。 何とも凄い名の川ですが、これは平家一門最期の嫡男である【六代御前】が、この川のほとりで処刑されたことから、こう呼ばれています。 |
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そしてこちらの葉書には 《相州逗子 六代御前之墓》 と記載されています。 前述の川の由来とも言える、平家6代目の平高清の墓地ですが、墓地へと続く石の階段や石垣などは往時のままのようで、大ケヤキの勢いが、この絵葉書から70年程の歳月を物語っているようでした。 この他にも別荘地の景観や、漁船の様子。 未舗装の駅前通り等、たくさんの絵葉書が、当時の逗子の様子を伺わせてくれます。 |
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