2-32.大正14年 常陸・鮎川浜焼石湯 領収書 ← ・ → |
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上は、前頁の海水浴場の写真とは別に出てきた大正時代の領収書です。 よく見ますと、《カツオ半身》・《平目》・《イナダ》という文字と共に《外五十銭 荷造り》・《外七十五銭 鹿沼ウンチン》という価格も書かれています。 〆て四円八十銭のようですが、現在の貨幣価値に換算するとおおよそ2万円前後でしょうか? そして最後に河原子町と書かれていますので、この河原子海岸に海水浴に行った際に、魚を購入し、鹿沼まで発送してもらったのでしょうか? 《ウンチン七十五銭》は、現在の4000円程度と思k、われますが、今で言う宅配便もなかったと思いますので、鮮魚の運搬も大変だったのでしょうね。
こちらも上の領収書と一緒に出てきたものですが、場所が河原子ではなく《常陸鮎川濱》となっており、更に《海水浴・焼石湯・河合屋旅館》】の印もあります。 調べましたところ、この【焼石湯】とは、現在の茨城県日立市鮎川の河口にあった《湯》で、海水を浴槽に汲み、そこに鮎川の青石を焼いたものを投げ入れる、江戸時代から続く《湯》の事で、この頃は六軒の旅館が営業していたようです。 |
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この《焼石湯》は万病に効くとの評判で、遠方からも湯治客が訪れて大繁盛し、昭和中頃までは営業をしていたようです。 そして領収書の【河合屋】とはこの中の旅館の一軒のようです。 さて内訳を見ますと、 《拾円四拾銭 中食十三人》 《七拾銭 アワビ二人前》 《壱円 ビール二本》 《壱円弐拾銭 シトロン 四本》 となっていますので、前頁に写っている皆で昼食をした時の明細かもしれませんが、それにしても、昼食が一人一円を越しているということは、現在で換算すると一人6000円から8000円くらいでしょうか? 昼食にしては随分豪勢ですね! また、アワビが二人前七十銭で、ビール二本一円銭と、ビールよりもお安いようですが、当時は海に行けば、たくさん採れたからなのでしょう。 そして【シトロン】とは、明治42年に高級炭酸飲料として登場した、現在の【リボンシトロン】の前身と思われますが、この時代でも高級な飲み物だったようですね。 この鮎川にも行ってきましたが、海にそそぐ河口の川はとても綺麗で、たくさんの魚が泳いでいました。 そして焼石湯があったと思われる場所には《鮎川浜焼石湯の跡》という石碑が建っていました。 それにしましても、こうした領収書というものも、時代がわかる面白いものですね。 |
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