昭和からの贈りもの 第2章 大正時代


 2-29.大正13年〜14年頃・中禅寺湖   ・ 


大正13年〜14年頃の中禅寺湖畔

この写真に写っているのは、日本髪に着物姿といった装いの方や、後ろに髪を結わえた着物姿の年配の方ですが、よく見ますと学生服やおしゃれな子供服も見えます。
更に赤ちゃんをおんぶして、どてらのようなものを着込んだ人と、皆様々です。

最初は年代の古いものと思っていましたが、さすがに学生服や子供服がモダンな感じなので、更に拡大してよく見ましたら、写真の中には祖母と叔父が写っている事が判りました。
前列左から二人目が叔父で、後列右から二人目が祖母です。
叔父は帽子を被って頬がぷっくりとして、なんとも可愛い姿です。
立看板には《國寶 中禅寺観音 當山》と書かれていますが、現在の【中禅寺千手観音】の事です。
それにしても看板の前に立つ人の髪型が古さを物語っています。


後には3階建と思われる建物がありますので、当時の旅館のようです。
撮影は《日光町大横丁星野写真館》となっておりますので、観光地の写真屋さんで撮影したものでしょう。

また右手前には橋が見えますので、場所は【二荒山神社中宮祠】の前の、華厳の滝へと通じる通りでしょうか?
この中禅寺湖のある奥日光一帯は、日光東照宮の門前町として古くから栄えますが、日本最初の避暑地としても開発された場所でもあり、各国大使が訪れたり、長崎のグラバーの別荘も湖畔にありました。

また、中善寺湖は男体山の噴火によって大谷川が堰き止められ出来た事と、華厳の滝を魚が遡上出来ない事から、かつては魚等は生息していませんでしたが、明治時代に放流され、現在は釣りでも有名で、各地から太公望が訪れる場所でもあります。

祖母の実家の鹿沼に近いこともあって、度々日光に訪れたそうですが、いまやすっかり観光地と化し、道路も整備され、湖の周辺の様子もすっかり変わっています。




大正13年〜14年頃の中禅寺湖歌ヶ浜

こちらの写真は、上の写真同様に中禅寺湖畔で撮影されたもので、年代も同じ頃のようですが、左端の祖父が着ているのは、【大正12年・上野公園大佛下】同様に【とんび】です。

私も宝塚歌劇団在団中に舞台で着た事がありますが、別名インバネスコートとも言い、イギリス発祥のマントのようなもので、シャーロックホームズが着ていたコートと言うと判りやすいでしょうか。

右の子供は伯父の従弟になりますが、着ている羽織がとても長く感じます。
これは大正時代に流行した長い羽織です。
そういえば「背比べ」と言う童謡は大正時代の童謡ですが、歌詞の中にも「羽織のひものたけ・・・」という下りがあります。
今は子供が羽織を着ることなどはめったにありませんが、大正時代はこのように普通のことだったからこそ、こうした歌詞になったのでしょう。

乗っているのは舟のようですが、手前にもあるようですので、遊覧用の舟かもしれません。
それにしても【櫂の舟】というのが時代を感じさせてくれます。

後ろにはアーチを帯びた綺麗な木造の橋が見えますが、この頃の中禅寺湖畔の橋と言えば、【大尻橋】と言う事になります。
としますと、この撮影された場所は【歌ヶ浜】と言う事になります。


写真には【日光中宮祠紫明堂謹写】とプリントされていますので、前頁の写真館とは異なるようですが、既に観光地として有名だったことから、日光や中禅寺湖には、こうした写真館も多かったようです。


現在日光は世界遺産として登録されている歴史のある観光施設ですが、歴史は千二百四十年前に遡り、この湖畔に神宮寺を建立したことに始まり、中善寺として栄えたそうです。
その後江戸時代に日光東照宮が建立され、近辺の鬼怒川温泉や川治温泉が発見される度に栄えて行きました。

また当時の交通手段としては、いろは坂という峠があるため、鉄道は結ばれず、籠や馬もなく、バスが唯一の交通手段だったようです。

そして写真下が昭和初期の中禅寺湖です。
ガードレールも道路もない湖畔に、鳥居が立っていますが、かつてこうした神秘的な風景はいろんな場所で見られたそうです。


昭和初期の中禅寺湖畔


←BACK ・ NEXT→

大正時代の出来事(元年-3年4年-8年9年-11年12年-15年

昭和からの贈りものTOPへ

お星さまの贈りものTOPへ