昭和からの贈りもの 第2章 大正時代

 2-26.大正12年・関東大震災   ・ 


この頁の写真は、昭和10年以降の写真と一緒の袋に入って出てきた事と、祖父母や伯父兄弟の姿が見当たらない事から、最初は戦時中のものと思い、調べる事も後回しにしていた写真です。
その後、改めて見たところ、戦時中であれば、国民服やもんぺ姿が多いはずなのに、着物などの和服姿や、カンカン帽を被った姿などが多い事に気が付きました。
また髪型を見ましても、髷姿が見え、これは戦後ではなく大正時代のように思えてきました。
更に、我先にと汽車に向かう様子や、子供を負ぶった姿。
僅かな荷物を風呂敷に包んで背負った姿の数々。

そして足元は草履や草鞋のようなもので、見るからに着のみ着のままといった姿や、鈴なりになって汽車に乗る様子からしまして、これは戦後ではなく、【関東大震災】の直後、まだ火災が発生する前に、汽車で逃げようとする光景ではないかと思うようになりました。


そう思いながら、
『この写真は関東大震災の時のものではないでしょうか?』
と改めて伯父に聞きましたところ、当時5歳の伯父にはこの時のはっきりとした記憶はないものの、この写真には覚えがあるようで、少しずつ思い出してくれました。

「多分、この直線の線路の様子は田端駅だと思うな・・・。」
「確か関東大震災の時は、田端から汽車に乗った気がするな・・・。」
「地震が起こった時は、家の瓦一枚すら落ちなく、家もなんともなかったけれど、東京が麻痺してしまい、これでは家に居られないという事になって、急いで鹿沼の実家に向かった記憶があるな.」
との事でした。
確かに現在の田端駅は写真のように、直線のレールが長く続く駅です。



つまりこの一連の写真は、関東大震災のが発生した後、避難で鹿沼に向かう時の様子で、祖父が小さい子供たちの手を引きながら、その時の様子を急いでカメラに納めたもののようです。
改めて写真を見ますと、確かに人々の不安さや緊張感が伝わって来る写真です。
汽車には鈴なりに人々が乗っているのが判りますし、屋根にも人が乗っています。
いずれにせよ、この頃は伯父が4歳で次男3歳、そして3男が1歳の頃ですので、子供たちと一緒に鹿沼に帰ることだけでも大変だった事と思います。
また、85年も前の記憶を思い出す事も驚きでしたが、それほどこの時の見た光景や出来事は、子供心に残っていたのでしょうね。


【関東大震災】は大正12年9月1日 11時58分に発生しました。
マグニチュード7.9で最大震度は7という大地震は東京の街並みを全く変えてしまいました。

特に地震の後に発生した火災の被害が甚大で、丁度昼時という事もあって、地震による倒壊の後、都内百ヶ所以上の家屋から火災が発生し、またたく間に延焼し、その後丸二日間に渡って燃え続け、この震災で十万人に及ぶ人々が犠牲になりました。
日本橋や銀座も火災によって殆どが焼失しましたが、三越の件に関しましては、後ほど記載します。

幸いにも伯父が住んでいた上野桜木地区は、地震による家屋の倒壊もなく、また大火災も丁度上野の山の手前までで、高台にあったこの地区は大火災の災難から免れました。
伯父の写真が残っているのは、そうした災害から免れたことからです。


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