昭和からの贈りもの 第1章 明治35年〜明治末の記録

 1-5.明治末〜大正初期・祖父 日本橋   ・ 


明治末・日本橋寄り合い
小舟町にあった【斉藤弁之助商店】は、当時の日本でも商い高が大きく、祖父はその商店で番頭という立場だったそうです。
その関係上、さまざまな取引先との商談や接待等で方々に行く事や、日本橋界隈の町内会での寄り合い等が多かったそうで、伯父が保管していた写真には、出張先や料亭等での写真が数多く見受けられます。

下の写真は厚めの台紙に写真が貼ってあり、その右下には
【日本橋區 東盛堂寫眞舘 久松町 久松小學校横】とプリントされています。


久松町と言えば、当時勤めていた【斉藤弁之助商店】のすぐ近くになりますので、勤め先の写真かも・・・と思ったのですが、広く立派な部屋には人数も多く、若い衆や丁稚さんがいない事から、日本橋の町内会の寄り合いか、組合の時に撮影されたものではないかと思われます。
そして見ると、洋装の一人を除いて皆さん紋付袴姿ですので、やはり綿糸関係の集まりと思われます。

【斉藤弁之助商店】のあった小舟町は、元々堀江町という町で、徳川家康が江戸に入府した際に、この一帯の漁業権を堀江六郎に与えた事から堀江町の名がつき、その後小舟町という名に変わったとの記録が残っています。

この小舟町にはいわゆる豪商と言われる商家が多く、安田銀行の創始者や、小倉石油の本拠も小舟町で、この他にも団扇問屋や砂糖問屋・鰹節問屋等が軒を揃えていました。

綿糸問屋関係では、日本橋区会議長も勤めた柿沼谷臓氏や岩田友衛門氏、田村政治郎氏等も名を連ねておりますので、写真の中にはこうした豪商たちもいらっしゃるのかもしれません。
小舟町界隈も関東大震災で甚大な被害を蒙り、堀留川も防災の観点から埋め立てられ、町の景観もいまはすっかり変わっています。


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