昭和からの贈りもの 第1章 明治35年〜明治末の記録

 1-3.明治39年・日本橋小舟町 2   ・ 


日本橋小舟町 川岸の土蔵/大正8年東京府発行[東京府史跡]より・東京都認可

この頁の写真は、大正8年に東京府から出版された【東京府史跡】という本の中で紹介されている日本橋小舟町近辺の町屋の様子です。(※掲載に関しては当時の発行所であるである現東京都に許可を頂いております)

小舟町近辺は、関東大震災で被災し壊滅的になってしまいますが、これらの写真は、明治末から大正初期にかけて撮影されたようで、当時の問屋街や豪商と言われた雰囲気が残されています。

まず上は、かつて日本橋区小舟町を横切っていた、東堀留川沿いに連なる土蔵の様子です。

一番左には何かの俵がみえ、中ほどには樽が見えます。
また屋根の部分には防火用なのか、桶が並べられているのがわかりますが、桶には△の屋根マークに三の字があります。
更にこの桶がずらりと並んでいる事から、少なくても6軒分の蔵が一つの商店のようです。
とするとかなりの豪商だった事がわかります。
更に3軒目の屋根には、何か写っていますが、拡大しますとカツオのようにも見えます。
小舟町界隈には鰹節問屋も多かった場所でもありますので、そうした鰹節問屋さんだったのでしょうか?
また道路には大八車を引いた跡のような筋がたくさん付いているのがわかります。


日本橋小舟町は今やビルが立ち並んでいますが、かつてはこうした土蔵が立ち並んでいたのですね。

こうした町並みは、江戸時代から続く独特のものだったようです。
江戸時代初期は、町屋での瓦葺は禁じられていましたが、明暦の大火(1657年)を機に、より火事に強い瓦葺屋根や塗家、土蔵などを用いることが許され、また江戸に吹き荒れる強風に耐える為に、屋根の勾配も急な造りになっていったそうです。

更に屋根の重量に耐えるようにと、塗家や土壁、土蔵などが増えていき、こうした町屋は江戸時代独特の形式となり、明治大正時代と続いたそうです。

また、小舟町などは、掘割があった事から流通の便が良い地とされ、問屋が増え、こうした土蔵も連なるようになったそうですが、この土蔵の近くに祖父の勤めた【斉藤弁之助商店】がありました。




日本橋区通旅籠町

次は、日本橋区通旅籠町(現・日本橋大伝馬町)の商店や町並みを撮ったものですが、前頁の【斉藤弁之助商店】と同じく、屋根の形状やその造り、また玄関や木戸の様子が同じですし、塀や忍び返しなども、似た造りであることが判ります。


暖簾には堀越と言う文字と丸に文の文字が見えますが、この商店は江戸時代末から明治期に、織物問屋として財を成し、豪商と言われた【丸文】の屋号をもった【堀越商店】のようです。
因みに現在も日本橋大伝馬町には、【丸文株式会社】があり、創業は江戸時代末となっていますが、業種は異なっているようです。





日本橋区通旅籠町

こちらも同じく日本橋区通旅籠町ですが、通りに立つ電柱が随分と長いように感じます。
手前の商店には【藤野】という文字と【大里屋】、【おおさとや】と言う文字や大八車が見えます。
その先の電柱には【日本唯一 アサヒタビ 高政商店】という広告も見えます。
その隣には【あずまや】という字が見え、傘などがおかれています。
通りの奥には大八車を引く人や自転車に乗った様子も伺われますが、時代劇などでしか知らない世界が見えるようです。



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