6-37.昭和16年・隅田川ボート 2 ← ・ → |
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こちらの写真は、ボートの準備をしているところですね。 尖ったようなボートのスタイルから、競技用のボートである事が判ります。 また、写真右側には多数の船が停泊していて、その向こうや対岸には工場の煙突が多数立っています。 煙突が多い事から、右側一帯は当時稼業していた【東京電灯株式会社】かも・・・ であれば、現在の早慶レガッタが開催されている近辺の写真では? と思って隅田川の白髭橋近辺から吾妻橋方面を、写真を手に散歩してみましたが、実際にゆっくり歩いてみると、隅田川には橋が多い事がわかります。 水神八百松があった近辺の水神大橋・白髭橋・桜橋・言問橋・東武線鉄橋・吾妻橋・駒方橋・厩橋・蔵前橋とここまでだけでも十もあり、荒川に合流する地点から最下流の勝鬨橋までに25を超える橋があります。 この橋が多いという事は、どこから見ても橋が見えるということになりますが、上の写真には橋が見えません。 昭和初期には白髭橋や言問橋、吾妻橋などは現在と同じ橋になっていますので、前頁と同じ場所であれば橋が見えるはずですし、また、右側の煙突群も多すぎるような気がします。 再度、昔の地図や大学のボート部の資料など調べて行きましたら、隅田川とは言っても、浅草や向島近辺の隅田川ではなく、もっと上流の方だとわかりました。 場所は尾久橋近辺で、写真中程に見える四本の煙突は、昭和中頃まで稼動していた【おばけ煙突】のようです。 下が現在の尾久橋下から見た景色ですが、煙突や船着場はすっかり姿を消し、高いコンクリートで川沿いは固められていました。 が、川幅といい川面の上の空といい、往時の写真と似た光景が広がっていました。
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