6-10.昭和13年頃・筑波山 4 ← ・ → |
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こちらは筑波山山頂からの景色のようです。 筑波山は標高が876mと比較的低い山ですが、関東平野にあるため、かつては東京からもよく見えたそうで、江戸時代の浮世絵にもよく登場しています。 また男体山頂上には、明治34年に設置された山岳気象観測所があり、この当時としては最古の観測所であったようです。 ちなみに昭和11年当時の筑波山へのアクセスを見ますと以下のようになります。
上記にあるように、かつては土浦から筑波まで、筑波鉄道が運行していましたが、昭和62年に国鉄がJRと変わる日と同じくして廃線となり筑波へのアクセスはバスや乗用車を利用せざるを得なくなりました。 が、現在は筑波エクスプレスが運行していますので、秋葉原から45分つくばセンターに着き、そこから筑波山神社までシャトルバスが50分で結んでおり、2時間もかからず山頂にたどり着けるようになりました。
こちらの写真は、遠くに筑波山が見えます。 ボートに乗っているようですが、海と言うよりも湖のようですので、霞ヶ浦に立ち寄った時の写真のようです。 この写真が撮影された当時は、佐原や鹿島、潮来から利根川や霞ヶ浦を巡る《水郷めぐり》 そして、鹿島神宮、香取神宮、及び息栖神社(小見川)を参拝する《東国三社めぐり》 などが、観光コースとして有名だったようです。 叔父たちも筑波の道中に霞ヶ浦に寄ったものと思われます。
こちらの写真も同じく霞ヶ浦のようですが、随分と風が強そうです。 この当時の案内をみますと 《周囲150粁余、面積177平方粁の海跡湖で、琵琶湖、八郎潟、樺太の多來湖(たらいかこ)に次いで、我国第四位の大湖である・・・》 と記載されています。 自分たちの頃は、確か日本で2位の面積と習っていましたが、この当時は八郎潟は干拓されておらず、樺太も日本だったからのようです。 この筑波のネガと一緒に上のような写真もありました。 最初は暗くて良く判りませんでしたが、明るく補正して拡大したのが右ですが、リュックを置き、2眼レフのカメラで撮影しようとしている所を撮ったようです。 こうした構図は、今までにも何枚かありますが、周りにもカメラを持っている友人が多かったようです。 先日も久しぶりに霞ヶ浦に立ち寄りましたが、あいにくの天気で、風が強く、遠くの景色は望めませんでしたが、その広さはまさに海のようでした。 |
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