6-9.昭和13年頃・筑波山 3   ・ 


筑波山 山小屋にて/昭和13年頃

筑波山 山小屋にて/昭和13年頃

一緒に写っているのは、大学時代の級友で、この後も度々写真に登場してくる面々です。
筑波山に一緒に行った時、山頂の山小屋で休憩したときの様子でしょうか?
さすがに高い山だけあって囲炉裏に炭が入っています。


上を拡大したものですが、囲炉裏の四角い枠はあまり見た事のないタイプです。

また右の写真の左側に見えるのは、カメラのようです。
ベストポケットテナックスとは異なるようですが、コンパクトサイズのカメラのようです。
この一連の筑波の写真も、ネガとプリントと混在していますが、旧友が撮った写真はプリントで、叔父が撮ったものはネガのまま残っていたようです。


筑波山 山小屋にて/昭和13年頃

筑波山 山小屋前にて/昭和13年頃

同じく山小屋と思われますが、よほど寒かったのか、一人は学生服の上からコートを着ているようです。
この山小屋の名は判りませんが、《○○湖ホテル別館》と言う文字も見えます。
昭和初期の記録をみますと、筑波山山頂駅には食事処も数軒あり、紅屋という旅館もあったようですが、現在はなく、また筑波山頂には江戸時代から続く山小屋などがありましたが、近年になって小屋を閉じています。


山小屋の写真の右側には《コーヒー牛乳》の空瓶がたくさん見えます。
牛乳は江戸時代から飲まれていた記録がありますが、コーヒー牛乳は、大正9年に、神奈川県の守山商会が、製造販売したのが最初と言われています。
ただ殺菌処理の技術が進んでいなく、量販されるようになったのが昭和10年頃と言われています。
とすると、この頃は最先端の飲み物だったのかも知れません。

また山小屋の女性は、寒いのにも関わらず、裸足の下駄履きです。
逆に叔父たちはしっかりとゲートル支度です。
戦時色が濃くなり、同時にゴムや皮製品を止め、《ゲタ履き運動》が叫ばれた時代ですので、当然の事だったのかもしれません。

また、この山小屋の前で立つ級友の手には、カメラが握られているようです。


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