5-27.昭和10年・高尾山 2   ・ 


高尾登山鉄道ケーブルカー/昭和10年

こちらの写真は撮影場所や日付の記載はありませんでしたが、上は坂道を行く小さな電車が見えます。
更に電車の奥にはトンネルのようなものも見えます。

また下は電車の車内から撮ったようですが、真っ直ぐに高く伸び、途中から急勾配になっている様子がわかりますが、どちらもケーブルカーです。


この頃の関東近郊の登山電車といいますと、先の伊香保ケーブル鉄道もそうですが、御岳山、高尾山、箱根山、筑波山等が上げられます。

その中でも、山並みと言い、勾配と言い、現在の高尾登山鉄道と同じ線路のようで、伯父もこの写真を見て

「ああ!これは高尾のケーブルカーでないかな〜」

と申しておりましたので、確かに高尾登山鉄道のようです。


高尾登山鉄道は、昭和2年に開業した登山鉄道です。
現在は麓の清滝駅から高尾山駅の歩けば1時間程の道のりを、6分でケーブルカーが結んでいます。

因みに現在の運賃は片道\470・往復\900ですが、昭和10年当時は上りが30銭・下り25銭・往復50銭となっており、何故か上りのほうが運賃が高かったようです。


更に現在では京王線 高尾山口駅が麓まで伸びており、都心からのアクセスも便が良くなっていますが、この頃は中央線の浅川駅(現高尾駅)からバスに乗り換えなくてはなりませんでした。


高尾登山鉄道ケーブルカー車内から/昭和10年

そして右が現在運行中の高尾山ケーブルです。
上の写真のケーブルカーは、戦時下の金属回収令で営業が停止させられましたが、昭和24年に再開し、その後昭和43年に、現在の全自動制御の135人乗りの大型車両が導入されました。
また隣には東京オリンピック開催の年に、リフトも設置され、高尾山を楽しむ人たちは、ケーブルカーとリフト、そして徒歩の方法で登山を楽しんでいます。

尚、この車両も平成20年12月で世代交代となり、更に新しい車両が登場する事が決まっております。
40年間走ったこの姿も今年いっぱいのようです。


高尾登山鉄道ケーブルカー/兵制20年
現在の高尾山は、【東海自然歩道】という東京から大阪まで全長1,697キロに及ぶ自然遊歩道の東の基点でもあり、更に、2007年にはフランス・ミシュランの三ツ星観光地にも選ばれています。
そのせいもあってか、平成19年時点で、年間250万人も訪れる観光地となっています。

もちろん昭和10年頃はそうした遊歩道もミシュランもありませんが、関東近郊の低山登山として人気のスポットだったそうです。

昭和10年の高尾山の案内をみると

《奥高尾縦走ハイキングは、婦人や子供でも容易に歩けるコースで・・・》

《春や秋の休日には、まるで物見遊山のやうな賑わひを呈する》

と記載されています。

右の写真は東京私立第二中学校の級友たちです。
前頁同様に、ネクタイ姿の学生服に帽子を被り、足元には皆同じようにゲートルを巻いています。
としますと、前頁と同じ高尾登山の時のものかも知れません。

高尾登山鉄道ケーブルカー車内から/昭和10年

こちらの写真でも同じく学生服を着て、背中には大きなリュックを背負っていますが、何やら上から覗きこんでいるようです。

これは上から覗きこむタイプのカメラで、いわゆる二眼レフカメラのようです。
ケースが下がっているように見えますし、レンズが出ているのも判ります。

随分高い所から撮影しているようですが、さぞかし良い景色だった事でしょう。


そしてこちらの写真が、最近高尾山に登ったときに見えた富士山です。

山々の向こうに、ひときわ綺麗な形で雪化粧の富士山が映えていました。

登山者達も、山道を登り、最後の急な山を越え、ようやく付いた山頂で待っていたのが富士山と言う事で、登山に来ていた人たちは、皆一様に歓声を上げて見ていました。

こうしてみてもやっぱり《富士は日本一の山》という感じがしますね。


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