昭和12年の出来事 1937  
【1月】
1 この1月の浅草六区は黄金期と言っていい程の好景気で、一月の訪問者は1000万人近く、平均訪問者数は一日30万人にも及びます。
現在浅草寺へのお正月の参拝者数が200万人を超え、毎年恒例の三社祭が三日間で150万人と発表されていますので、その多さが判ります。
写真は昭和12年1月頃の浅草六区の写真ですが、この写真を見ましても、その当時の浅草の人気ぶりが判ります。
(写真12-01)
浅草は明治時代に浅草寺が公園として整備され、その際に浅草寺裏手の田圃などが一区から七区に区分され、この六区に見世物小屋等が移転した頃から、六区の歓楽街が出来てきました。
その後民間営業第一号の水族館が開館し、東京名物であった【十二階】という高層ビルが建設されます。
更に、映画館や劇場などが集まり、この年の夏には東洋一を誇る【国際劇場】もオープンし、松竹少女歌劇も《東京踊り》で人気を博し文字通り最盛期を迎えます。
1 この日の東京朝日新聞及び大阪朝日新聞に山本有三の【路傍の石】が連載されます。
1 同じく朝日新聞紙上で【亜欧連絡記録大飛行】と題して、純国産飛行機で1万5千キロ離れたロンドンへ飛行し、5月12日に行われる英国王ジョージ6世の戴冠式奉祝を記念しての飛行計画を掲載します。
同時に飛行機の愛称も募集し、後に神風号と命名されます。
●英皇帝関連↑11年1/21・11年12/10・↓5・12
●神風関連↓4/6・↓4/9

1 一方東京日日新聞では、英国王の戴冠式拝観を兼ねたヨーロッパ一周旅行の広告を掲示します。
期間3ヶ月間の費用は6500円です。
1 日本放送協会は欧州・南米向けの放送を開始します。
3 大阪の道頓堀や千日前などの劇場や映画館の新春興行は超満員の入りとなり、宝塚少女歌劇公演は30銭の座席券に5円〜6円のプレミアが付く程の人気となりました。
また松竹歌劇団の大阪歌舞伎座公演も満員御礼となり、レビュー合戦と報じられます。
4 国宝名古屋城の金鯱のうろこ58枚が盗まれます。
犯人は城の調査用の為に組んであった櫓を伝って忍び込みますが、27日に大阪で逮捕されます。
犯人によると鱗を鋳溶かして2,130円で売り、そのうち1900円を母親に預け残りは自分で使ったと自供します。
名古屋城の金鯱盗難は度々なされていますが、有名なのは江戸時代の正徳2年(1712)に大凧に乗った盗賊が鱗3枚を盗んだという伝説ですが、新聞でも大凧の金助以来と報じます。
(写真12-03)
21 この日の衆議院で《腹切り問答》がなされます。
政友会の浜田議員が、軍部の政治介入を批判したことで、寺内陸軍大臣が軍部への侮辱と反論します。
これに対し、浜田議員は『速記録を確認し軍を侮辱した発言があれば私が割腹して謝罪するが、無かったら君が割腹せよ』と発言します。
この《腹きり問答》が一因となり議会は二日間停会となり、23日には広田内閣は総辞職する事になります。
写真はその時の《腹切り問答》のもので、質疑をする浜田議員を睨む寺内陸相です。

(写真12-04)
25 宇垣一成陸軍大将に組閣下命が下り、政友会、民政党共に支持しますが、陸軍の反対により29日には組閣を辞退します


12-01.昭和12年正月の浅草六区/絵葉書

12-02.英帝戴冠式拝観欧州一周旅行団告知/東京日日新聞

12-03.盗難を報じる記事/東京朝日新聞

12-04.腹切り問答となった浜田議員の質疑/アサヒグラフ
【2月】
1 東洋一を表看板に、国鉄名古屋駅舎が新装開業し、午前4時には記念乗車券を求める人が殺到します。
新装名古屋駅は1階が吹き抜けのコンコースで、地下には公衆浴場、理髪店や美味いもの横丁などが入居し、地上7階建ては、当時の国会議事堂や戦艦陸奥よりも大きなビルでした。
(写真12-05)
1 最後の大名と言われ、大名としてただ一人存命だった旧広島藩主、浅野長勲氏が心臓性ぜんそくの為96歳で死去します。
2 童謡【かもめの水兵さん】が発表されます。
2 新組閣、林銑十郎内閣が成立します。
政党を排し軍人と閣僚のみの内閣で軍のロボットとも言われ、《祭政一致》を掲げ2ヵ月後には解散を強行しますが、総選挙に惨敗し4ヶ月で倒れます。
●関連↓5/31
3 【青バス】の名で知られる大阪乗合自動車が、ガソリン車の代用燃料として、電気バスを完成させます。
22人乗りで、市バスも順次採用します。
(写真12-06)
4 原節子主演の日独合作映画【新しき土】が封切られます。
監督は伊丹万作とドイツの山岳映画の巨匠アーノルド・ファンク両監督でしたが、両監督の対立からドイツ版と日本版の二つの作品ができる事になります。

(写真12-07)
尚、邦題の新しき土とは満州の事で、ドイツでは【侍の娘】という題で上映されます。
●関連 ↓ 3/23・11/24
5 1月から神田界隈では交通標識が盗まれるという事件が多発していましたが、この日ようやく犯人が逮捕されます。
軍需の為鉄の値が上がり、この頃は鋼鉄飢饉と言われる程でしたが、男は15本の標識を盗んでいました。
10 藤山一郎が歌う【青い背広で】が発売されヒットとなります。
11 文化勲章が制定され、第1回受賞者は長岡半太郎、佐佐木信綱、幸田露伴、横山大観など9人が選出されます。
(写真12-07)
15 この日から新議事堂で国会が再開されますが、傍聴人が1000人を超える行列となり、国会の座席表(10銭)を売る売り子まで登場します。
17 日蓮会【死のう団】の青年信者5人がが、宮城前広場、国会議事堂前、警視庁前など5箇所で『死のう、死のう』と叫びながら割腹未遂を行います。《死のう団事件》
(写真12-08)
ただ短刀の刃渡り5寸のうち4寸を木ではさみ、刃先は1寸程しかなかったので、いずれも2〜3週間の負傷で済みました。
昭和8年以来教団への執拗な弾圧を受け、信者が激減する中の抗議の活動でした。
17 この日の衆議院本会議で、無所属の尾崎行雄が、国防費激増の原因を問い、軍部の政治関与を批判する演説を1時間40分に渡って行います。
既に軍部の政治関与が濃くなって行く中の79歳の議員の抗議でしたが、尾崎行雄はこの後95歳まで議員を続け、《議会政治の父》と呼ばれることになります。
17 この日紀伊半島沖で操業中の捕鯨船が、マッコウクジラを射止めた所、鯨が捕鯨船に体当たりをし、船は沈没に瀕し、乗組員全員は他の船で救助されるという鯨の逆襲にあいます。
18
第1回芥川賞を受賞した【蒼氓】がこの日映画化され封切られます。
19 兵役法施行令が改正され、徴兵検査の身長が5cm引き下げられ、視力聴力検査の規格も引き下げられます。
20 先の帝人事件の公判が200回となり、世界最多を記録します。
12月には16被告全員に無罪が言い渡されます。
22 世界的鋼鉄不足の中、屑鉄相場が高騰し新高値を記録します。


12-05.新装開業の名古屋駅/アサヒグラフ


12-06.当時の電気バス/アサヒグラフ

12-07.文化勲章受章者/大阪毎日新聞

12-08.死のう団事件を報じる記事/東京朝日新聞
【3月】
11 この日から20日まで、丸の内の日本劇場で、柳家金吾楼の爆笑劇【俺は水兵】が公開され人気となります。
柳家金吾楼は自身の入営体験を元にした落語で人気となり、以降寄席、舞台、ラジオ、レコードと活躍します。
13 大阪・四ツ橋に大阪市立電気化学館が完成し、日本初の天象館ことプラネタリウムが公開されます。
地下1階地上8階、一部15階建で、これ以外にも純国産のテレビ電話も設置されます。
(写真12-09)
15 この日四谷の駄菓子屋で、5銭の板チョコ4枚を買った時に支払った5円札が透かしの無い偽札と判明し、翌日の新聞に掲載された事で、次々と偽札被害が報告されます。
東京下谷や浅草、四谷や本郷で発見された以外にも、埼玉や千葉でも見つかり、この3月だけでも70枚を超え、5円札をお断りする店も出てきます。
(写真12-10)
またこの偽札事件の影響で、本物の5円札を偽者と間違い、お札を切って捨てると言う事も発声します。
16 伊豆の持越金山で構内に充満したガスの影響で、鉱夫58名が窒息死するという惨事となります。
前日15日昼ごろに炭鉱内で漏電の為火災が発生し、鉱夫が消火した後で鉱山入り口を密閉して引き上げます。
そしてこの日になって58人の鉱夫が炭鉱内に入ったところ、前日のガスが抜けきらず、そのまま全員がガスによって窒息死します。
(写真12-10)
23 日独合作映画【新しき土】のドイツ版【武士の娘】がドイツで封切られ、ヒットラーをはじめ、ゲッペルス宣伝相やフロンベルグ国防相などが観覧します。
主演の原節子もベルリンに向かいますが、汽車の遅れによって封切りには間に合いませんでした。
が、ドイツ各地で大歓迎を受けます。
31 林内閣が抜き打ちで衆議院を解散します。
29日に12年度予算が両院を通過したばかりで、《食い逃げ解散》と批判されます。
が、実際は軍部の圧力によるものとも言われます。
31 アルコール専売法が公布され4/1から施行されます。
これによって度数90度以上のアルコールの製造・輸入・販売については政府が独占的に管理することになります。
花王石鹸は【ソフター】を販売します。
古川ロッパ一座がラジオオペレッタ用に書き下ろした【歌ふ水戸黄門】が、当局の検閲によって偉人徳川光圀公を冒涜するものであるとされ、【水戸黄門歌ふ漫遊記】と改題され、問題の歌も削除されます。


12-09.竣工時の大阪市立電気化学館/
土木学会付属図書館蔵

12-10.偽札事件の新聞記事/東京朝日新聞

12-11.持越金山の事故を報じる記事/東京朝日新聞
【4月】
1 東京乗合自動車では夜の乗合遊覧バスが新橋から運行します。
1 明治32年以来37年ぶりに郵便料金が値上げし、ハガキが5厘値上げし2銭に、封書は1銭値上げし4銭になります。
この時登場したのが乃木大将を描いた2銭切手と東郷平八郎を描いた4銭切手です。
(写真12-11)
この値上げの為、3月中に郵便を出そうとする人が殺到し、郵便物が普段の4倍となり年末年始の扱い量をはるかに超える量となります。
1 この日から東京〜札幌間の定期航空が開始されます。
3 満州国皇帝の実弟溥傑と公爵・嵯峨公勝の孫娘浩との結婚式が九段の軍人会館にて行われます。
写真はこの結婚式の際に軍人会館前で撮られた二人です。
(写真12-13)
5 《防空法》が公布され、防空業務として灯火制限、防毒、消毒、避難、救護の実施と、これらの監視、通信、警報が定められます。
またこれによって鉄筋や鉄筋コンクリートの建造物が増加します。
更に、7月の日中戦争勃発により、警防団や隣組、婦人会などが新しく整備統合され、防空意識が高まってゆきます。
5 保健所法が公布されます。
これによって保健所の名称も使用され、全国49箇所に保健所が設けられます。
6 元旦に発表した朝日新聞の純国産通信飛行機の【神風号】がロンドンへ向け立川の陸軍飛行場を飛び立ちます。
2日に一度出発しましたが、天候不順で引き返しての再出発ですが、ハノイやカラチ、バグダット、アテネなどを経由してロンドンへ向かいます。
(写真12-13)
●関連↑1/1・ ↓ 4/9
6 逓信局では郵便自動車を導入します。
赤塗りの移動郵便局車で10人が乗り込むことが出来、郵便物の受付や電報、預貯金の引き出し業務も出き、最後部には公衆電話を備え付け、祭典や催事、野球場などへ随時出向きました。
9 東京朝日新聞の飛行機【神風号】が英国ロンドンのクロイドン空港に到着し、1万5千キロを94時間17分56秒という世界記録を樹立し、大歓迎を受けます。
(写真12-14)
当初は欧各国の反応は低いものでしたが、次第に報道が多くなり、1面で扱うようになり、ローマでは空軍機が先導し、パリでは空前の人出となり、ロンドンでは多くの市民に囲まれます。
尚、この飛行機は元々陸軍が偵察機用として試作した飛行機の2号機で、【キ−15】が正式名称でした。
550馬力のエンジンを搭載し、最高速度は480キロで航続距離は2400キロという高性能で、この翌月には97式司令部偵察機として正式採用し量産に入ります。
この偉業を受けてか、国内では神風ブームとなり、広告にも神風号が度々登場します。(写真12-15)
尚近年発売された20世紀切手には、この神風号が図案として掲載されています。
13 内務省は治安維持の観点からメーデー禁止を決定し、翌14日には通達します。
14 横光利一著の【旅愁】が、この日の東京日日及び大阪毎日新聞にて連載が始まります。
15 奇跡の人【ヘレンケラー】が浅間丸にて初来日します。
18日には徳川家達(徳川宗家16代当主)が歓迎委員会会長となり、林首相ら500人が参列しての歓迎会が東京會舘にて行われます。
以降全国で講演会を行います。
(写真12-16)
15 富士山麓鉄道(現富士急)は、富士山一週の定期バスを運行開始します。
写真は昭和8年の修学旅行での富士山麓鉄道バスで、富士山近くの峠を走っているようすです。
(写真12-17)
17 隅田川の名物でもある【一銭蒸気】が一斉ストライキに突入します。
賃上げを求めた一斉争議で、吾妻橋のたもとに蒸気船が並んで船内に従業員が立て篭もります。
18 この日の新聞で浅草の雷門が再建されると報道されます。
雷門は慶応元年(1865)に火災で焼失して以来仮設の門は何度か建てられますが、正式な門としてはこの時も見送られ、実際に建てられるのはこの後昭和35年になってからです。
18 日本初の本格的自動車レースとなる第一回全関東自動車競走大会が、丸子多摩川オートレース場で開催されます。
23 一銭蒸気に続き東京市の市電、市バスが全線賃上げの為のサボタージュを行い、東京の交通網が混乱します。
28 先に決定した第1回文化勲章の授与式が行われます。
29 赤坂のダンスホール・フロリダのダンサー80余人が愛国婦人会の会員となり、赤坂公会堂で発会式が行われます。
前年日本野球連盟(プロ野球)が発足してますます盛り上がる野球ですが、この4月には上野公園野球場にて東京全市小学野球大会が開催され、浅草の精華小学校が優勝しています。
この上野公園野球場は現在も東京文化会館横にあり、愛称は【正岡子規野球場】と言われています。
(写真12-18)


12-12.軍人会館前での溥傑と嵯峨浩/
ウィキメディア

12-13.ロンドンへ向け出発する神風号/東京朝日新聞

12-14.到着した神風号を迎える群衆/you tube

12-15.広告にも登場する神風/東京朝日新聞

12-16.ヘレンケラーの来日を報じる記事/東京日日新聞

12-17.富士山麓鉄バス/昭和8年

12-18.上野公園内 正岡子規野球場とレリーフ
【5月】
1 西宮球場がオープンします。
阪神急行電鉄が西宮市に建設したもので、55,000人収容で日本初の2階スタンドを備えた球場で、2002年まで運営していました。
1 日本橋高島屋では、組み立て式リゾートハウス【サンマーハウス】を定価600円で売り出します。
因みにサンマーとはsummerの英文字をとったものと言われ、この当時はサンマーハウスといったリゾート物件も出回っていました。
(写真12-19)
3 市川房江、久布白落実らが中心となって、離村子女問題研究会が開かれ、身売り防止対策などが協議されます。
4 交通ストが相次ぐ中、東京の王子電車でも賃上げ要求を拒否されたことから、この日から交通ストが行われ、18日まで続きます。
6 ドイツの飛行船、ヒンデンブルグ号がニューヨーク郊外で爆発炎上し36人が死亡します。
ドイツーアメリカ間の定期航空路第1便でしたが、この爆発によって飛行船時代は終焉へ向かうことになります。
(写真12-20)
6 『木造家屋では焼夷弾による火災は防げない。防火訓練による落ち着いた対処が必要』と建築学会調査委員会が発表します。
この8年後には現実のものとなります。
11 大阪の阪急梅田駅前から難波までの4キロを結ぶ御堂筋の拡張工事が終わり全線開通します。
(写真12-21)
12 英国王ジョージ6世の戴冠式が、ロンドンのウエストミンスター寺院で行われます。
世界55カ国の国賓が訪れますが、日本からは天皇の名代として秩父宮雍仁親王らが参列されます。
またBBCは世界初のテレビ中継を行います。
●関連↑11年1/21・11年12/10・12年↑1/1
15 日本放送協会はラジオ聴取者300万人突破記念祝賀会を東京會舘にて行います。
21 相撲の双葉山が第35代横綱に昇進することが決定します。
この5月場所でも優勝し、3場所全勝優勝で40連勝中で、この日の大日本相撲協会番付編成会議にて、満場一致で決定します。
(写真12-22)
尚双葉山はこの後も69連勝まで勝ち続けます。
21 神風号の凱旋報告が数寄屋橋の朝日新聞本社前で行われますが、辺りは数万人の群集で埋め尽くされ、歓喜の嵐となります。
(写真12-23)
29 陸軍省は重要産業五ヵ年計画を発表します。
これによって準戦時体制に入ることになります。
29 豊島区西巣鴨に鉄筋コンクリート3階建てで3000人が収容できる東京拘置所が落成します。
明治28年に同じ場所に巣鴨監獄が置かれ、大正11年には巣鴨刑務所と改称されますが、この落成によって刑務所機能は府中刑務所に移管されます。
戦後はGHQに接収され【スガモプリズン】と呼ばれ、戦犯と称された東条英機らが処刑されます。
その後昭和37年には廃止され、現在はサンシャインビルが建ちます。
30 前年の東京での結核による死亡は13314人で、死亡率では世界一となります。
31 林内閣が成立4ヶ月で突如総辞職します。
2ヶ月前には衆議院を突然解散し、《食い逃げ解散》と称され、今回もまた、首相在職中に何もしなかったと《何もセンジュウロウ内閣》と揶揄されます。
●関連↑2/2
31 文部省では《国体の本義》を全国の学校や社会教化団体に配布します。
松下電器製作所が【ナショナルホームドライヤー】を発売します。
手元の親指スイッチで、温風、冷風、停止が操作でき、現在のドライヤーの原型とも言えます。
ただ価格が13円50銭〜15円と高価で、理髪店などの業務用として使用され、一般家庭に普及するのは昭和30年代に入ってからの事です。
コロムビアから童謡のレコード集【日本童謡全集】が発売されます。
第一回は【かなりあ】と【赤とんぼ】で全6ヶ月で9円です。
(写真12-24)


12-19.サンマーハウスの新聞広告/東京朝日新聞

12-20.炎上するヒンデンブルグ号

12-21.拡張工事後の御堂筋/アサヒグラフ

12-22.横綱昇進を報じる記事/東京朝日新聞

12-23.神風号凱旋を祝福する群衆/東京朝日新聞

12-24.日本童話全集の広告
【6月】
1 献金付きの愛国切手と葉書が販売されます。
切手は2銭、葉書は3銭が上乗せして販売され、寄付分は民間飛行場の建設資金とされます。
2 芝増上寺の門前の老松が、移植後300年を経て枯れた事によって伐採されます。
3 NHKのラジオ聴取者数が300万を突破します。
4 第一次近衛文麿内閣が成立します。
五摂家筆頭という家柄と45歳の青年貴族宰相と言う事で国民にも人気となります。
また内閣の平均年齢も54歳という若い内閣でしたが、結局軍部に引きずられるように、戦争の泥沼に入って行くことになります。
(写真12-25)
9 5月に竣工したばかりの大阪国技館で、こけらおとしとなる大相撲大阪場所が始まります。
(写真12-26)
収容25,000人は国技館を凌ぐ規模ですが、連勝中の双葉山人気もあって連日超満員となります。
9 ワルシャワで開かれたIOC総会で、昭和15年開催の第5回冬季オリンピックを札幌で開催する事が決定します。
既に決定していた東京オリンピックや万国博覧会と合わせ、皇紀2600年記念事業の一つでしたが、翌年には東京オリンピックと共に開催を返上する事になります。
9 二葉あき子の【だまっててね】がきっかけで、内務省ではレコード出版法を適用し、卑俗な流行歌を発禁にする事を決めます。
10 東京で赤痢が流行し1月からの罹患者は6225人に及びます。
12 鉄道省は東京〜神戸間の東海道本線に新しく導入される特急の名を【かもめ】と命名します。
●関連 ↓ 7/1

12 川端康成の小説【雪国】が刊行されます。
昭和10年からこの年にかけて発表された作品をまとめたもので文芸懇話会賞を受賞します。
12 ソ連でスターリンの粛清が行われ、トハチェフスキー元帥らソ連赤軍最高幹部8人が非公開軍事裁判にかけられ銃殺刑となります。
(写真12-27)
14 童謡【かわいい魚屋さん】が完成します。
作詞家の加藤省吾が子供のころに見た光景を詩にしたもので、12月には加藤自身が主宰する同人誌【童謡と唱歌】に発表し、翌年にはレコード化されます。
●関連↓ 12月
20 淡屋のり子が歌う【別れのブルース】が発売されます。
満州の兵士たちの間でも歌われ人気となり、淡屋のり子はブルースの女王と言われるようになります。
22 警視庁は全派出所に自転車1000台を配備します。
登山ブームも続いていたようで、この年に長野県白馬村細野(現八方尾根)に、日本初の山岳民宿が出来ました。
元々地元の農家が白馬岳登山の人達を泊めたりした事から始まり、現在も【民宿発祥の地】として数多くの民宿があります。


12-25.第一次近衛内閣を報じる記事/東京日日新聞

12-26.竣工前の大阪国技館/土木学会図書館蔵

12-27.ソ連赤軍幹部の粛清を報じる記事
/東京日日新聞
【7月】
1 この日から東京と神戸を結ぶ特急【かもめ】が運行開始します。
既に運行されていた特急【燕・つばめ】に次ぐスピードで、1等2等寝台車、2等車、3等車、食堂車など8両編成でしたが、昭和18年に時局の悪化から廃止されます。
1 文部省は国民強化運動の一環として、ラジオ体操への国民総動員を決定します。
2 米女性飛行士のアメリア・イアハートが世界一周飛行の最中に、ニューギニア近辺で消息を絶ちます。
A・イアハートは昭和7年には女性初の単独大西洋横断に成功した事からリンドバーグにちなんで【レディ・リンディ】として英雄視され、米国では絶大な人気だった事もあり、日米両海軍が航空母艦などを中心にした大捜索が行われました。
が2週間程捜索したものの、手掛かりは掴めず打ち切りとなりました。
(写真12-28)
その後太平洋戦争が勃発すると、事故は日本軍による処刑と噂されますが、近年になって米国研究者たちによって不時着死であると発表されます。
3 浅草に東洋一の国際劇場が開場します。
総工費は200万円で4階建て、定員は3993名で、こけら落としは松竹少女歌劇団(SKD)の【東京踊り】でした。
(写真12-29)
因みに昭和57年に閉鎖となりますが、この時SKD公演の最後となったのも【東京踊り】です。
現在は同じ場所に浅草ビューホテルが建ちますが、この前の国道の通称は【国際通り】です。
7 中国北平(北京)郊外の盧溝橋付近で夜間演習中に日本軍に対して発砲事件が起こり、日中戦争のきっかけとなります。《盧溝橋事件》(写真12-30)
この第一報を受け山本五十六海軍次官は『陸軍のやつらはなにをしでかすかわかったものではない。油断がならんよ』ともらし、近衛文麿首相は『陸軍の計画的行動ではなかろうな』とつぶやいたと言われます。
その為《日本軍の計画的陰謀説》や蒋介石政府との内戦に追い詰められた《中国共産党謀略説》など、最初に誰が発砲したか《日中戦争の謎》とも言われます。
8 盧溝橋で日中両軍が戦闘態勢に入ります。
また盧溝橋事件の第一報が、昼の定時ニュースで報道され、号外もまかれます。
(写真12-30・12-31)
9 政府は盧溝橋事件を受けて臨時閣議を開き、事件不拡大方針を決定します。
11 政府は緊急閣議を開き、華北の治安維持のため派兵を行うと内外に声明し、各界代表を集めて挙国一致の協力を求めます。
この声明を受けて、翌日の株式は大暴落します。
12 東京の尋常小学校で結核のレントゲン検診が始まります。
先の結核死亡率で東京が世界一になった事に由来するようです。
13 内務省は《軍事機密保護法》を改正し公布し、《時局に関する記事取扱に関する件》として各都道府県長官に通牒し報道規制を強化します。
14 銀座では女子店員15人が昼休みを利用して千人針を待ち行く人に依頼します。
翌日の新聞には『千人針に示す銃後の赤誠』と報道され、以降千人針が全国的に広がります。
千人針は日露戦争の頃から始まったと言われ、出征兵士の武運長久を祈り、白もしくは黄のさらしに、赤糸で一人一針、千個の縫い玉を縫ってもらいます。
そこに5銭か10銭の銅貨を通し腹巻状にしたもので、出征兵士が常に肌身離さず身に付けていました。
因みに5銭硬貨は、4銭(死線)を超えるという意味で、10銭は9銭(苦戦)を超えるという意味と言われています。
16 陸軍省は東京府下の女学生2万2千人に対して、4万個の慰問袋の作製を依頼します。
22 横浜市では女子職員のドーラン化粧・描き眉・アイシャドーを禁止します。
27 千人針や慰問袋が奨励される中、新聞では《慰問品はどんなものが喜ばれるか?》という記事も掲載されます。
それによると
紙類 慰問文、慰問画、手芸品、名刺、絵葉書、優美な写真、講談、娯楽雑誌、最近の写真
食料品 缶詰類、缶に入った氷砂糖・角砂糖・キャラメル・ドロップス・味付海苔・塩豆
日用品 ハンカチ、タオル、褌、便箋、封筒、塵紙、鉛筆、色鉛筆、手帳、懐中用ナイフ、清涼口中薬
こうしたものが入れられていましたが、次第にデパートなどでは既製品の慰問袋のセットが売られるようになります。
31 陸軍省は《記事掲載禁止命令権》を発動し、軍隊の行動・軍機・軍略に関しての新聞掲載を禁止します。
これによって写真や記事などは検閲され、写真掲載の際は《陸軍省許可済》を明記しなくてはならなくなります。
また戦闘地域などの表記も○○方面といった伏字にしなくてはならなくなりました。(写真12-32)
これ以外にも三浦半島が要害地帯とされカメラの持ち込みが禁止され、また陸地測量部発行の参謀本部地図が発売禁止となるなど、さまざまな分野で規制がなされて行きます。
31 東京日日新聞社では【進軍の歌】の一般公募を始めます。
9月には当選作品がレコード化されますが、裏面に録音した【露営の歌】の方が人気となり大ヒットとなります。
(写真12-33・34)
●関連 ↓ 9/20
夏の美味しい食べ物として定番の【冷やし中華】ですがこの年に仙台の【龍亭】という北京料理が初めて考案したとされています。
暑い夏の中華料理売り上げ低下を解消する為に考案されたそうですが、一方【冷やしラーメン】が登場したのが、15年後の昭和27年、山形と言われています。


12-28.遭難したA・イアハートと愛機/ウィキメディア

12-29.昭和12年秋の国際劇場/ウィキメディア

12-30.盧溝橋事件を報じる記事/中外商業新報

12-31.発端となった盧溝橋/中外商業新報

12-32.表記に○○が登場した記事/中外商業新聞

12-33.進軍の歌の募集広告/東京日日新聞

12-34.進軍の歌の募集内容/東京日日新聞
【8月】
1 明治座で劇場初となる冷房装置を設置します。
1 日本放送協会は初めて天津から前線中継をします。
1 この日から映画の最初に《挙国一致》《銃後を護れ》などのスローガンを入れることが義務付けられます。
3 中央公論社から【綴方教室】が発売され、20万部を超える大ベストセラーとなります。
作者の豊田正子(当時14歳)が小学校4年生から5年生の頃の貧しい生活の様子を描き、童話雑誌【赤い鳥】の懸賞に当選した作品を刊行したもので、一躍天才少女と騒がれ、新聞雑誌のインタビューやレコードの吹き込みなども行い、翌年には高峰秀子が出演する映画にもなります。
(写真12-35)
この本が話題になった頃も作者の豊田正子は1日10時間労働の女子工員として働き、自分の本が報道されている事も人づてに聞き、本を買おうとしても1冊も手に入らない状態だったと言うことです。
その後も工場勤めの傍ら生活記録を書き記し、昭和14年には【続綴方教室】、16年には【粘土のお面】を刊行し、その後も人気となります。
9 女性にグライダー人気が高まる中、日本最初の婦人グライダー団体【大日本航空婦人會】が発会し、千葉県松戸飛行場で合宿が行われます。
写真はその時の訓練の様子です。
(写真12-36)
13 上海の中国軍が、日本陸戦隊陣地を攻撃し交戦状態となります。《第二次上海事変》
(写真12-37)
これに対し、海軍航空隊は長崎や台湾から片道1000キロにも及ぶ初の渡洋攻撃を行い、南京や杭州の空軍基地を爆撃します。
新聞では《勇猛果敢な荒鷲》と報じ、以降【荒鷲】は航空部隊の別称となります。
15 緊急閣議で日中事変不拡大方針を放棄し、全面戦争突入を決定します。
16 新速達郵便制度が全国で実施されます。
それまでの速達は東京・名古屋・大阪など6大都市で実施されていましたが、速達、航空郵便、別郵便の3つが併合して、この日から全国に広がります。
(写真12-38)
20 政府は軍需工業動員法の発動を決定します。
この法案は大正7年に制定されたものの、休眠状態の法案でした。
これによって軍需品生産の為、民間工場を強制的に利用できることになります。
20 農林省は戦争による農業や水産業の労働力不足を補う為、《勤労奉仕施設要綱》を全国地方長官宛てに通牒します。
24 政府は閣議にて《国民精神総動員実施要綱》を決定します。
国民全てが日中戦争の重要さを認知し戦争に協力することと国家忠誠を誓う事を宣伝するものです。
●関連 ↓ 9/13
25 国鉄ではおとぎ列車の【ミッキーマウストレイン】を走らせます。
25 陸軍省が《時局の拡大》を理由に、昭和15年開催の東京オリンピックの馬術練習中止を発表します。
選手にはロス五輪金メダリストの西大尉も含まれていましたが、翌月には政友会議員が、「軍人さんが馬術の練習をやめるならば、国民も全部やめなければならぬ!」と衆議院予算委員会でオリンピック中止を主張し、中止論が更に広がり、翌年7月にはオリンピック中止が発表される事になります。
27 トヨタ自動車工業会社が設立されます。
福助足袋から靴下の口ゴム部分にゴムを編みこんだ紳士靴下【エバーラップ】が発売されます。
従来は口ゴム部分がずり落ちるなどした為、ガーターが必要でした。
軍国調のモノが流行りだします。
国防色の鼻緒や服、風呂敷、金の錨が付いたハンドバック、砲弾型や軍用犬をデザインした文具などが多くなり、11月には軍用機をあしらった訪問着や帯なども現れます。


12-35.録音中の豊田正子/ウィキメディア

12-36.グライダー訓練中の会員/アサヒグラフ

12-37.第二次上海事変を報じる記事/

12-38.当時の速達便ポスター/逓信博物館蔵
【9月】
2 北支事変が拡大したことから、閣議で【支那事変】と改称することに決定します。
11 東京小石川に後楽園球場が開場します。
2階建てスタンドを擁し3万人収容で、開場式が行われた後、【落成記念全日本職業野球選抜紅白試合】が行われます。
13 政府は《国民精神総動員実施要綱》を発表します。
右はその時に政府が作成したポスターです。
写真12-39)
●関連↑8/24
これによって政府の国民統制が益々強くなって行き、「八紘一宇」「挙国一致」等をスローガンに『国家の為に自己犠牲を尽くす精神運動』が始まります。
そして『贅沢は敵だ!』『進め一億火の玉だ』『欲しがりません勝つまでは』などの標語が生まれます。
こうした標語が広がると共に【日の丸弁当】が人気となり、『パーマネントはやめましょう』とするキャンペーンが始まります。
右は【昭和15年・一億一心】に掲載しているこ当時の絵葉書ですが、この時代を表す一つでもあります。
(写真12-40)
また同時に全国の中学や大学などでの軍事教練も強化されます。
昭和11年頃・軍事演習】では、中学時代の軍事演習の様子を見る事ができます。
(写真12-41)
18 軍馬の欠乏によって《臨時馬の移動制限》が施行されます。
以降馬の移動は当該町村長の許可が必要となります。

20 【露営の歌】が発売され発売6ヶ月で60万枚の大ヒットとなります。
『勝ってくるぞと勇ましく〜』で始まるこの歌は、出征兵士を送る歌としても歌われます。
元々は大阪毎日・東京日日新聞が募集した【進軍の歌】の2等佳作作品でしたが、北原白秋、菊池寛らが推薦し、裏面に吹き込まれましたが、【進軍の歌】よりも【露営の歌】の方が人気となり、戦前を代表する軍歌となります。
●関連↑7/31
21 大日本連合婦人会、及び同女子青年団は女子義勇隊結成運動を開始します。
公共奉仕の精神や技能鍛錬を目的としたものです。
24 先に発売されている【忘れちゃいやヨ】【二人は若い】などが《低調卑猥》と自発的原版廃棄を命ぜられます。
25 警視庁は燃料不足と節約の為、東京市内の円タクの深夜の流しを禁止します。
巡査は徹夜で市内628箇所の駐車場を巡回するなど徹底した取締りを行います。
また東京、大阪では従来のタクシーから小型タクシー(ダットサン)が増加します。
25 内閣情報部は、時局にあった国民的行進曲を募集する為の要項を発表します。
この頃流行していた軟弱な歌謡曲に対抗するような、戦意高揚の曲を作る為で、最終的に出来たのが【愛国行進曲】です。
●関連 ↓ 11/2・ ↓ 12/19
26 【日本婦人団体連盟】が結成されます。
日本基督教婦人矯風会、日本女医会、婦選獲得同盟、基督教女子青年会日本同盟など8つの団体が統合したもので、会員規模の大きい愛国婦人会や第日本国防婦人会など官製の団体とは異なる婦人団体でした。
育児用品の和光堂から我が国初の離乳食【グリスメール】が発売されます。(500g入り1円)
材料は白米を細かく砕いたもので、これを水・スープ・牛乳などに20〜30分ほど浸してから弱火で煮るもので、手軽さから人気となります。
愛国婦人会が女中養成所として利用していた隣保館を出征家族母子ホームとして開設します。
浅草花月劇場で【あきれたぼういず】が登場し人気となります。
川田義雄、坊屋三郎、芝利英、益田喜頓の4名で結成され、楽器を演奏しながら物まねや漫才を行うなど元祖コミックバンドです。
(写真12-42)
国民精神総動員運動の中、ラジオでは【国民朝礼の時間】【時局生活】【出勤将兵ヘノ感謝】【銃後ノ護】【非常時経済】などの番組が作られます。
軍国調が人気の中、こどものおもちゃも、迷彩柄のタンクや鉄砲、防毒マスク、軍刀、機関銃、陸軍旗、日の丸などが人気となります。
特に旗類(布製10銭)は大人も買う為品不足となり《旗飢饉》とも言われるようになります。

少年誌なども、表紙は軍人を描いたものが多くなり、付録なども娯楽的なもが減り、軍事色が強くなっていきます。
また運動会でも、敵前渡河を模した障害物競走が行われ、手作り機関銃や張子の大砲なども登場し始めたようです。
右伯父が残した写真の中の1枚で、タンクのおもちゃを手にする子供ですが、撮影年はこの当時か戦後かは不明です。
(写真12-43)


12-39.国民精神総動員帝国政府ポスター/ウィキメディア

12-40.贅沢は敵だ!の絵葉書/昭和15年・一億一心

12-41.中学校での軍事演習/昭和11年頃・軍事演習

12-42.あきれたぼういず/you tube

12-43.戦争おもちゃ/年代不詳
【10月】
1 閣議で戦時的新企画機関【企画院】が決定されます。
(写真12-44)
それまであった資源局と、内閣調査局の企画庁が統合されたもので、後に【国家総動員法案】や【電力管理法案】などを作成します。
1 政府は《我々は何をなすべきか》というパンフレット1300万枚製作し、全国各戸に配布します。
時局の認識と国民の奮起を要望したものでした。
1 東京市では出征将兵留守家庭の門口にマークを貼る事を決定します。
1 不況の養豚産業打開策として、群馬県高崎市で【高崎ハム】が誕生します。
2 東京では非常時結婚式が登場します。アルコール抜きで一人当たり1円の予算というものです。
8 この日から始まった宝塚少女歌劇のレビューは【皇国のために】という軍歌レビューですが、国民精神総動員運動はこうした中にも現れてきます。
8 寿屋(現サントリー)からウイスキー【サントリー角瓶】が販売されます。
730ml入りで8円と高級品でした。
尚、発売当初は【角瓶】は商品名でもなければ、ラベルにも記載は無く、サントリーウイスキーの名で販売されていました。
それを一般消費者がその瓶の形から【角瓶】と称したもので、終戦後になってようやく広告にもその名が出るようになります。
10 日中戦争による燃料不足のため、東京の浴場では朝湯が禁止されます。
10 京阪神間の省線電車が開通します。
11 商工省は初の物資統制となる《臨時輸出入許可規則》を公布施行します。
これによって綿花、化粧品、オレンジなどの果物。紅茶などのぜいたく品の輸入を禁止し、軍需資材の輸出を禁止します。
また鉄鋼工作物建造許可規則も公布し、50トン以上の鉄材使用建築は軍需用以外は禁止となります。
13 NHKは【国民唱歌】の放送を開始します。
第1回は【海ゆかば】でした。
因みにこの曲は太平洋戦争中に玉砕を報じる際のテーマ曲に用いられます。
17 日本橋高島屋で愛国国民服展覧会が開かれます。
17 この日名古屋市東山動物園で、観客が見る前で雌ライオンが雄ライオンに噛み付くという騒ぎが起こります。
15分ほどで引き離すことが出来ましたが、噛まれた雄ライオンは翌日になって死ぬこととなります。
(写真12-45)
18 全国労働総同盟全国大会が開かれ、日中戦争中のストライキ絶滅など《銃後三大運動》を決定します。
18 陸地測量部発行の日本国土の地図のうち、東京及び大都市の近傍図の販売が禁止されます。
21 愛知県は県下三十余校の女学校に愛国子女団を結成し軍事教練を実施すると決定します。
青森でも未婚女性の女子青年団の武装演習が行われるなど、全国で女子の軍事教練や銃後の護が実施されるようになります。
右は同じ年赤坂のダンサーによって結成された様子です。
(写真12-46)
22 パリで開かれている万博博覧会の日本館が設計賞を受賞します。
23 ハンドボールの初の正式試合となる第1回関東ハンドボール選手権大会が開かれます。
海軍陸戦隊の将校の長剣が太刀型の軍刀に変わります。
それまでの長剣では実戦の際には役に立たないことからです。
4月に公布された《国防法》の準備期間1年が半年前倒しされ、この10月から実施されます。
また赤十字博物館では10月〜12月にかけて、【防空法徹底強化防護展覧会】が開催されます。
国民に対しての国防意識を徹底させる目的で、内務省・陸軍省・海軍省後援。日本赤十字社・東京市・東京市連合防護団の共同開催で行われます。
写真はこの時陳列されたものを元に作られた啓蒙ポスターです。
(写真12-47)
この頃内側が黒い防空電球が発売されます。また電灯の覆いも普及します。


12-44.企画院庁舎と職員/ウィキメディア

12-45.噛まれた雄ライオン/東京朝日新聞

12-45.赤坂のダンサーによる演習風景/写真昭和30年史

12-47.防空法徹底強化防護展覧会ポスター
/国立公文書館蔵
【11月】
2 愛国行進曲の募集歌詞の当選発表が行われます。
5万778通の応募の中、鳥取県の印刷業の23歳の青年の作品が選ばれます。
●関連 ↑9/25・↓12/19
2 神奈川県によって京浜工業地帯の造成工事が10ヵ年事業として始まります。
戦後の戦災復興事業で一時中断しますが、その後企業の工場などが集まり、中京、阪神とともに3大工業地帯と言われるまで発展します。
その反面海水浴場や魚場などが姿を消す事になります。
右は当時の扇島海水浴場の広告ですが、東京から近く水が綺麗な海水浴場として人気のスポットでした。(写真12-48)
3 この日の明治節から【国民奉祝時間】が設けられ、全国民が一斉に明治神宮を遥拝することになります。
4 広島の呉海軍工廠にて戦艦【大和】の起工式が行われます。(竣工16年12月)
大和の建造は極秘裏に行われ、建造に関わる者には緘口令が敷かれ、秘密厳守の宣誓書を書くなどされます。
(写真12-49)
6 イタリアローマにて《日独伊三国防共協定》の調印が行われます。

先年の日独防共協定にイタリアが参加する事になりますが、この頃の国際共産主義運動に対しての、反共、反ソの意味合いと、また英国、仏国、米国など列強との関係悪化などから、3国が結束し対抗する意味合いもありました。
(写真12-50)
●関連↓11/25

10 上野公園に東京帝室博物館本が完成し竣工式が行われます。
関東大震災で大きな被害を受けた後、ようやく新装となった博物館は、鉄筋コンクリート作りで震災で被災する旧館の4倍の広さでした。
この後収蔵品を陳列しての開館は1年後になります。
11 西部防衛司令部は、九州と中国地方に警戒警報を発令します。
これが我が国最初の警報でしたが、以降警報は増えて行きます。
11 群馬県小串鉱山で背面の山が崩れ山津波が発生し、鉱山施設や社宅、小学校が埋まり、犠牲者245名という大惨事となります。
雪解けで地盤が緩んだとも言われますが、社宅から火災が発生した事で被害が大きくなります。
(写真12-51)
12 俳優の林長次郎(後の長谷川一夫)が東宝京都撮影所前で暴漢に襲われ顔を切られます。
前月に松竹から東宝に移籍したばかりで、新聞では『忘恩の徒』『背信者』と非難される中の事件でしたが、逆に顔を切られた事で同情が寄せられ人気が高まりました。
日本映画最大のスターの一人とも言われますが、昭和49年には宝塚歌劇団の【ベルサイユのばら】を演出し空前のヒットを招きます。
(写真12-52)
13 連勝記録が続く中、第35代横綱授与式が熊本で行われます。
14 第一回全日本フェンシング選手権大会が国民体育館にて開催されます。
18 《大本営令》が公布されます。
大本営とは天皇直属の陸海軍最高統師機関で、それまでは明治26年に公布された《戦時大本営令》があったものの、戦時のみの適用だった事から、宣戦布告なしの《日華事変》にも適用できるように新たしく《大本営令》が公布されました。
20 大本営令が公布されたことで、宮中に大本営が設置されます。
三宅坂の参謀本部が大本営陸軍部に、そして霞ヶ関の軍令部が大本営海軍部になります。
(写真12-53)
20 甲子園球場にて【第一回職業野球全スター東西対抗】の1回戦が行われます。
この時の東軍投手が今シーズン24勝し最高殊勲選手となった沢村栄治投手で、6安打7奪三振で第一回試合を勝利します。
が、この後に沢村投手は軍隊に出征し肩を壊し、以来往時の速球は見ることが出来なくなります。
昭和19年には3度目の徴兵となり、12月2日に乗船していた輸送船が米潜水艦によって撃沈され戦死します。
22 警視庁と消防庁は東京市内の木造住宅街に防火用大水槽149個を配備します。
24 第一回大本営御前会議が開催され天皇陛下に陸海軍作戦計画が報告されます。
24
先に封切られた原節子主演の日独合作映画【新しき土】のベルリン版【武士の娘】が封切られます。
(写真12-54)
制作中の両監督の相違によって、日本版とドイツ版の2パターンが作られた作品ですが、今回新たにドイツ版が公開されたものです。
●関連 ↑ 2/4
25 日独伊防共協定成立祝賀記念国民大会が55,000人を集めた後楽園球場で行われます。
●関連↑11/6
こうしたお祝い事は子供の雑誌にも現れます。
右は当時の小学3年生の雑誌付録で、日独伊が仲良しであるという《仲良し三国》と題された絵葉書です。
(写真12-55)
30 日本赤十字本社は全国33の病院の中、17病院を日中戦争傷病者収容にあて一般の入院を中止する事を決定します。
その後17病院は陸軍下に置かれ、陸軍病院となります。
童謡【赤い帽子白い帽子】が発表されます。
ガソリンや重油などの1割節約が決定され、木炭自動車が多くなります。
缶入りタバコの生産が翌年から禁止と決定します。
翌年には両切りタバコの包装紙も銀紙からパラフィン紙に変わります。


12-48.扇島海水浴場の新聞広告

12-49.呉海軍工廠で最終装填中の大和/ウィキメディア

12-50.日独伊三国防共協定を報じる記事/東京日日新聞

12-51.山津波を報じる記事/東京朝日新聞

12-52.切られる前の長谷川一夫/ウィキメディア

12-53.大本営陸軍本部/写真昭和30年史

12-54.武士の娘の広告/東京日日新聞

12-55.日独伊三国同盟記念の絵葉書/ウィキメディア
【12月】
1 東京帝大経済学部教授、矢内原忠雄が著した【民族と平和】が反戦的ということで発禁処分となり、教授会でも非難決議された為辞表を提出します。
翌日には東大で最後の講義を超満員の中行い、『肉体は亡ぶとも精神を殺すなかれ』と残します。
《矢内原忠雄事件》(12-56)
こうした自由主義への弾圧はますます強くなり、翌年の東大教授《河合栄治郎事件》、翌々年の《津田左右吉事件》と続き、更に軍部やファシズムの影響が増して行きます。
2 商工省は生ゴムの全面統制を実施し配給制にします。
こうしたことから、ゲタ履き運動が盛んになります。
7 日中戦争以来東北では馬不足となり、相場も前年の2倍〜3倍となります。
7 内務省は、映画の上映時間を3時間以内に制限します。
9 南昌空爆に出撃した海軍第十三航空隊の三等航空兵曹の樫村寛一が操縦する九六式艦上戦闘機が、中国軍機と空中衝突し、左翼の2分の一を失いつつも、600キロを片翼飛行し無事上海に帰還します。
当時は戦史上《空前の神業》と称されます。
これを受け当時の海軍相が賞賛し、樫村機は原宿の海軍館に永久保存されることが決定します。
you tubeではこの時の樫村機の映像が見られます。
(写真12-57/you tube)
11 イタリアが国連を脱退します。
13 日本軍は南京を占領します。
既にこの発表前に、東京では南京陥落祝賀の提灯行列が行われました。
(写真12-58)
15 民政党の加藤代議士や山川均ら労農派理論家や日本無産党関係者ら446名が全国で一斉検挙されます。
《第一次人民戦線事件》
16 帝人事件の裁判にて全員無罪の判決が下されます。
19 内閣情報部は【愛国行進曲】の入選曲を発表します。
9555篇の応募の中1等は【軍艦行進曲】等を作曲した瀬戸口藤吉氏で26日には日比谷公会堂で発表演奏会が行われ、全国にラジオ中継がされます。
尚、著作権がフリーだったことから、各レコード会社がこぞって出版し、累計販売数は100万枚を超える大ヒットとなり、国民的愛唱歌となります。
(写真12-59)
●関連 ↑ 9/25・11/2
20 日本婦人団体連盟は時局対策運動の一つとして白米食廃止運動実行委員会を設け、『白米食をやめましょう』のスローガンを掲げます。
21 警視庁は《高音取締規則》を公布します。→翌13年1月1日施行
日本における騒音に対しての本格的な規則で、ラジオ、蓄音機、太鼓、拍子木、その他楽器などによる騒音を規制するもので、本人以外がラジオや楽器で騒音を出した場合所有者も罰則をうけるというものでした。
21 新橋の地下鉄工事現場でガス爆発が起こり、3300平方メートルが陥没し、店舗6店が全焼します。
この為渋谷までの全通が1年遅れることになります。
22 関西角力協会が解散し、大相撲の東西分裂が解消されます。
昭和7年に春秋園事件で日本相撲協会が分裂して以来5年ぶりのことでした。
23 帝国ホテルでは、今後一切の晩餐会、舞踏会やクリスマスダンスを廃止すると発表します。
27 商工省は《綿製品・スティールファイバー等混用規則》を公布します。(13年2月1日施行)
これによって軍需、輸出品以外は3割以上のスフ混合にしなくてはならなくなります。
28 大蔵省は《金使用規則》を公布施行します。
これによって9金以上の製品の製造などが禁止されます。
29 この日封切られた【オーケストラの少女】が、9週連続上映の空前の大ヒットとなります。
(写真12-60)
30 東京の市バスに初の木炭バス4台が登場します。

31 東鉄は伊勢神宮初詣臨時列車の運転を開始しますが、寝台車での伊勢詣はぜいたくということで、寝台車は廃止されます。
同人誌の童謡と唱歌に【かわいい魚屋さん】が発表されます。
●関連↑ 6/14
高島屋では各店に慰問用品売場を設けます。


12-56.矢内原教授を報じる記事/東京日日新聞

12-57.片翼飛行の樫村機映像/you tube

12-58.南京陥落を報じる記事/朝日新聞

12-59.愛国行進曲の絵葉書

12-60.オーケストラの少女の広告/大阪朝日新聞

この年のセルロイド玩具のキューピーやカチューシャ人形など760万円で、ぜんまい仕掛けの金属玩具は904万円と過去最高を記録します。
この年の人気となったのが、三越がこの年から販売したバンブーチェアです。
いわゆる籐の椅子で、叔父の家にも数多く残っていましたが、現在も3つだけ残っています。
写真はその中の籐のリクライニングチェアーですが、こうした引き出しタイプのスタイルは現在も引き継がれているようです。
(写真12-61・62)
名古屋ういろうが本格的に発売されます。
それまではひもちが悪く菓子屋周辺の販売のみでした。
第一工業製薬から家庭用合成洗剤【モノゲン】が発売されます。
翌年には花王石鹸が【エキセリン】を発売します。
資生堂は【資生堂新美顔術】と家庭への美顔術普及に乗り出します。
この頃の美顔術代は1円でした。
同時に化粧水の【カーマインローション】も発売しロングセラーとなりますが、ローションと言う言葉が登場したのもこの商品からになります。
キタキツネによって媒介されるという、わが国初のエキノコックス症患者が北大付属病院にて確認されます。
デンマークの体育大学で学んだ広田兼敏氏がバドミントンを紹介します。
翌年には横浜YMCAを主軸として神奈川バドミントン協会が組織されます。
日本最初の超小型カメラ【ミゼット】が美篶商会より発売され人気となります。1台10円
大きさは53×30×31ミリで手にすっぽり収まるサイズで豆カメラブームを起こします。

12-61.古いバンブーチェアー

12-62.古いバンブーチェアー
昭和12年の流行・トピックス
流行歌 アマポーラ、愛国行進曲、青い背広で、海ゆかば、裏町人生、人生の並木路、露営の歌、別れのブルース、次郎長外伝(浪曲)
童謡 山寺の和尚さん、かもめの水兵さん、早起き時計、赤い帽子白い帽子
玩具・遊び 戦争おもちゃ、神風号のブロマイド
映画 東宝発声映画製作所設立
オーケストラの少女、人情紙風船、どん底、真実一路、浅草の灯
舞台 文芸座結成
芸能 あきれたぼういず結成、国際劇場開場
雑誌
文芸 暗夜行路(志賀直哉)、)綴方教室(豊田正子)、?東綺譚(永井荷風)、雪国(川端康成)、若い人(石坂洋二郎)
美術 帝国芸術院創設
スポーツ 日本自転車連盟結成
文化・社会 神風ブーム、軍国調モノ、フランス人形作り、千人針、慰問袋、浪花節
放送 聴取者300万人突破、国民唱歌放送開始、英国王ジョージ六世の戴冠式が世界で初めてテレビ中継される
言葉 挙国一致、食い逃げ解散、国民精神総動員、湖底の村、心臓が強い、千人針、トーチカ、馬鹿は死ななきゃなおらない、日陰の村
モノ・人
晴雨兼用傘、トラの毛(出征軍人用)
この年の初登場
サングラス、サントリー角瓶、ホームドライヤー、ゴム吸盤がついた尚武弓、グリスメール(離乳食)、解体式移動家屋、カーマインローション、国産超小型カメラミゼット
この年の物価
牛ロース上100匁(375g)1円50銭、大根100匁3銭、マグロ100g12銭、汽車弁当上30銭、浅草聚楽のとんかつ55銭、同寿司盛り合わせ35銭、同かけそば10銭、目黒雅叙園定食2円50銭、サントリー角瓶8円、ジョニーウォーカー赤9円50銭、日本酒二等1円98銭、コーヒー牛乳10銭、グリスメール1円、美顔術代1円、たび50銭、ウェディングドレス160円〜170円、口紅70銭、ナショナルドライヤー15円、東京小学校教師給与76円、大阪女給月給17歳以下5円・20歳12円、解体式移動家屋600円、純金1匁13円70銭、レコード1円、のらくろ貯金箱95銭、慰問袋1円〜

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