5-21.昭和10年・榛名山登山 ← ・ → |
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空に向かって一直線に伸びる線路が写っていますが、この急勾配の線路といい、線路に写るロープが見えることから、これは登山電車のようです。 この写真は一連の榛名山の写真と一緒の袋に入っていましたので、今は無くなった【伊香保ケーブル鉄道】のようです。 この【伊香保ケーブル鉄道】は、昭和4年に【関東鋼索鉄道】という名で開業し、京都の愛宕山鉄道を凌いで、日本最長のケーブルカーとして、現在の伊香保温泉近くの新伊香保駅と榛名山駅の水平長2040mを結んでいた登山電車です。 写真でも判りますように、2`の道のりをほぼ1直線のレールが走っており、純国産の鋼鉄製のケーブルカーが榛名富士の麓まで行っていたようです。 写真の線路向こうに山が見えますが、この形はまさしく榛名富士のようです。 昭和初期からは全国的に広まった登山ブームもあって、各地で登山鉄道やケーブルカーが開業していた頃です。 現在営業している登山鉄道も、【御岳登山鉄道】、【高尾登山鉄道】、【比叡山鉄道】等この頃に開業したものが数多くあります。 その後、昭和19年に戦時下の【金属改修令】が発令されると【不要不急線】と指定され、線路等は回収され営業休止を余儀なくされました。 戦後の昭和36年に営業が再開されたものの、新伊香保駅までのアクセスの不便さと、昭和40年頃からのマイカーブームに合わせて、近くに伊香保榛名有料道路(現在は無料)が開通したこともあって、再開から5年後の昭和41年には廃線となった路線です。 現在は榛名山ロープウェイによって、榛名山頂駅と麓の駅の500m弱がゴンドラで結ばれており、晴れた日には関東の山々や、遠く富士山を望む事ができます。 |
こちらの写真も引き続き榛名山での写真ですが、今度は兄弟で榛名山登山をした時の写真です。 写っている中で5男の父が8歳の頃ですが、榛名登山は比較的勾配もゆるく、現在も高齢者はもとより、中学校から大学等のサークルや、近隣の小学校の校外学習でもよく登られる山です。 常々登山を楽しんでいた伯父たち兄弟からすれば、楽な登山だったと思いますが、如何に軽登山の山としても上の写真の右端の方の服装が凄いですね! 近所に夕涼みに行くような格好とも見えますが、伯父たち兄弟は、半ズボンに革靴を履き、帽子に手ぬぐいに杖と水筒という、この当時のちゃんとした軽登山の格好のようです。 写真後ろの岩肌も印象的ですが、もしかして前頁にも写っている【硯岩】の下で撮影したのでしょうか? そして伯父の写真でよくあるように、ポーズを撮っている様子を別の角度から撮影しているようですね。
こちらも同じ榛名登山の続きですが、随分と見晴らしが良いのが判りますが、よく見ると柵も何もない崖のようにも見えます。 ランニングシャツ姿に帽子をかぶっているのが判りますが、この時代特有の学帽のようです。 現在は学帽を普段にかぶる事はまずありませんが、戦前は学生服や帽子は普段着としても着用していたようですので、いたって普通のことのようです。 |
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こちらも榛名登山の続きですが、写っているのは五男の父です。 岩山の上で大きな岩を見て驚いている様子を撮ったのでしょうか? 榛名山は【硯岩】もそうですが、こうした岩肌や奇岩が多い山としても知られています。 それにしても、これらの写真を見て驚くのは、今のような登山道等は全くと言っていいほど整備されていなくことです。 上の5人が写る写真でも、道無き場所に立っているようですし、次の写真も道など無い岩肌に座っているようです。 まあこれがこの時代の普通の登山なのでしょうが、軽登山でこうした状況ですので、もっと高い山は道すらなかったかも知れませんね。 右の写真も榛名山での1枚ですが、頂上を目指して登山を楽しんだのでしょうか。 カラー写真で無いのが残念ですが、さぞかし良い登山日和だったでしょうね。 |
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