5-26.昭和10年・高尾山 ← ・ → |
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こちらの上下3枚の写真には、油紙毎に日付や場所の記載があり、全て昭和10年10月23日の高尾山でのハイキングの写真のようです。 写真の入っていた油紙には《2596・October・23 高尾小佛峠より秩父》と記載されていますので、小仏峠から秩父方面を撮ったようですが、見事な山並みがはっきりと判ります。 |
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右は 《高尾・富士見台より枝川を望む》 と記載されていますが、富士見台とは現在も高尾山にある富士見展望台の事で、そこから見た下の川と、家々のようです。 眼下には大きな川沿いに広がる田園風景と、一筋に伸びる道路が見えることが判ります。 そして右下のネガが入っていた油紙には 《23・October・2595 裏高尾ハイキング 高尾山頂で 展望台 Sato Takano Friendsd》と書かれています。 頂上で友人を撮影したようですが、制服を着ているという事は、学校の行事としてのハイキングだったのでしょうか? 富士見台や小仏峠などからすると、現在の【北高尾山稜】の登山ルートで、高尾駅から約6時間のコースと言うことになりますが、学生服にネクタイ姿で6時間のハイキングと言う事も驚きです。 尚、この時の年代は2596と皇紀表記で一部英語表記です。 伯父は中学卒業後は、東京外語学校に進みますが、この頃から英語表記をしていたようです。 |
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現在高尾山は、ミシュランの三ツ星観光地と評価された事もあり、たくさんの登山客で賑わいます。 右は平成20年11月に高尾山に行った時のものですが、平日でもたくさんな人出でした。 更に帰路、ケーブルカーの麓の駅を見たら、乗車待ちの人たちで大混雑で、ああなると1時間以上待たなくてはならない程との事ででした。 これが、週末ともなると更に凄い混雑になるようです。 |
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そんな人気の高尾山ですが、人気と裏腹に感じたのが下の写真のような光景です。 高尾山にはさまざまな登山ルートがありますが、左は6号路・びわ滝コースという比較的狭い登山道です。 登るごとに目に付いたのは、人々の足で踏みつけられ、土が剥がされ、むき出しになった樹の根っこです。 そして右は、一番人気のある1号路参道コースです。 登山道の右側を見ると、壁のようになった山肌には、樹の根や赤土が見え、左側にはむき出しの根っこが見えます。 つまり写真の中で人々が歩いている部分は、かつては山だったと言う事です。 あまりの多くの登山者があるくにつれ、山が削られ、山肌がむき出しになったと思われますが、現在はコンクリートの山道になっています。 人気の山と言う事はよい事なのでしょうが、こうして山や樹木が削られむき出しになる事も、考えなくてはならない事なのかも・・・と思った高尾山でした。 |
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