5-8.昭和10年6月・日本橋小舟町 八雲神社大祭   ・ 


日本橋小舟町八雲神社大祭 役員/昭和10年

この写真は、祖父が勤めていた【斉藤弁之助商店】がある、日本橋小舟町で開催された【八雲神社大祭】の時の町内会役員の記念撮影です。

裏面には《昭和十年六月一日〜四日 八雲神社大祭小舟町東西町会役員 御仮屋前ニ於テ 池合?撮影ス》と記されています。

この写真が撮影された昭和10年の【八雲神社大祭】は、関東大震災で焼失した神輿を新しく作製した時の記念すべき大祭で、待ちに待った神輿が登場したとあって、たいそうな盛り上がりだったようです。

居並んでいる人たちも、当時の小舟町の問屋街の実力者らしく、立派な髭の方も見えますが、【斉藤弁之助商店】の番頭だった祖父の姿も後列に見えます。

【日本橋小舟町八雲神社天王祭】は現在も四年に一度に開かれていますが、その歴史は古く、今から340年前の江戸時代になります。

元々は牛頭天王を祀った神社であり、徳川家康が江戸幕府を開いた折に、神田神社と共に、江戸総鎮守として祀られました。

二代将軍徳川秀忠の代で江戸城吹き上げ御所に祀ってあったものが現在の湯島の地(神田明神)に移転したのが1616年です。

そしてその例大祭(天王祭)を一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮と三社に分け、それぞれ南伝馬町、大伝馬町、小伝馬町へと持ち回りが分けられ、大祭が実施されていました。

その後、小伝馬町から小舟町に《持ち》が変わったのが、今から340年前の寛文4年(1666年)の事と言われています。

三ノ宮の【持ち】が小舟町へ替わってからは、小舟町の例大祭は大々的になっていきます。

これは神田祭や山王祭のように、幕府が管轄する山車を引くお祭りとは違い、天王祭は一般庶民が神輿を担ぐお祭りだった事からと言われ、その賑わいは相当のものだったそうです。

そうした事からも、この小舟町の神輿が江戸神輿の原点であったとも言われています。

右の版画は、江戸の浮世絵師、国芳が描いた【八雲神社大祭】の浮世絵ですが、威勢の良い祭りの様子が伝わってきますね。

昭和10年の天王祭の時に再版として刷られたものと思われます。

尚【斉藤弁之助商店】の店先の様子や小舟町につきましては、
明治39年3月・日本橋小舟町・祖父 1906
大正時代・斎藤弁之助商店
にも詳しく掲載しております。


八雲神社大祭版画

因みに、浅草浅草寺の雷門を過ぎ仲見世を通ると大きな【宝蔵門】が見えますが、ここ吊ってある大提灯にも、【小舟町】と大きく描かれていますが、これは日本橋小舟町の事です。

前述の通り340年前に、魚河岸一帯で起きた【流行り病の祈願】の為、この浅草寺に提灯を寄進した事からのものですが、もしかして、三の宮の【持ち】が、小舟町に移ったことも、この提灯と関係があるのでしょうかね?

尚、平成15年10月にも、この大提灯が浅草寺に寄進され、奉納式典が行われた事は、記憶に新しいことです。

最近では平成17年に【八雲神社大祭】が開かれましたので、次の大祭は平成21年になります。


浅草宝蔵門の大提灯

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