5-3.昭和9年・朝顔   ・ 


昭和9年7月 伯父宅庭の朝顔

昭和9年7月の五男の父が写っていました。
家の庭で朝顔に水をやっているようですが、良く見ますと朝顔の鉢植えが結構あるようです。

現在も7月の6日〜8日に、上野桜木の寛永寺坂を降りた鶯谷近辺から入谷交差点までの言問通りでは、【入谷朝顔市】が開かれ、たいそうな賑わいを見せてくれます。
写真の朝顔もその市で買ったのかと思い、伯父に聞きましたところ、写真が撮られた頃は【朝顔市】は無かったとの事でした。


元々江戸時代から入谷近辺には朝顔を扱う植木屋が多かったそうで、江戸末期から明治中頃にかけては、その賑わいはたいそうなものだったそうです。

江戸時代の入谷は田圃が多く、別名【入谷田んぼ】とも言われていました。
そうしたことから土壌が朝顔にあい、また今の朝顔と違い、交配を繰り返しながら《変わり咲き》の朝顔や、色鮮やかな朝顔などが栽培されており、明治中頃には十数軒もの植木職人軒を連ね、往来を止め木戸銭を取ってその見事な朝顔を見せていた程です。

それが入谷の発展と共にたんぼが消え、次第に植木屋が入谷を去り、大正2年に最期の植木屋が廃業し、入谷名物の朝顔はすたれてしまいます。

【朝顔市】が復活したのは、戦後の昭和25年頃ですので、やはり写真の撮られた昭和9年は、まだ【朝顔市】が復活していない頃です。
それでも、入谷や上野桜木近辺では朝顔を扱う花屋もあったようで、夏になるとこうして朝顔を楽しんでいたようです。



現在の入谷朝顔市

【朝顔市】が復活した現在は、入谷の交差点から寛永寺坂にかけて、入谷鬼子母神前の言問通りに、ずらりと朝顔が並び、朝から朝顔を求める人たちで賑わいます。
普段は交通量の多い【言問通り】も、上の写真のように車両の通行が止められ、片側には朝顔市が並び、片側には屋台が並びます。

こうした賑わいを見せる朝顔市も、戦後の朝顔市復活の頃は人出が少なかったそうです。
当時地元有志として朝顔市を復活させたメンバーの滝口さんに伺ったら。
「最初は人が集まらなくて色々なことをしました。」
「松竹のダンサーを招いてお客さんを呼ぼうとした事もありましたね。」
とのことで、今のような賑わいになるまではご苦労があったそうです。
また、復活当時は現在の入谷交差点までの範囲だけではなく、その先の言問橋方面まで出店が並んでいたそうです。
それがいつしか、交通の便の関係で現在の位置になりましたが、今では下町の夏の風物詩となっています。



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