5-4.昭和9年・東京市立第二中学校・柔道 ← ・ → |
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写真裏面には、《昭和九年七月廿四日 東京市立第二中學校内運動場にて夏稽古に参加したるものの記念撮影》との記載がありますが、東京市立第二中学校とは現在の東京都立上野高校のことです。 当時の学校制度は、尋常小学校六年制、中学校五年制、大学校五年制という時代で、中学校が現在の中等教育と高等教育に相当しますので、この頃は今で言う中学三年生か高校一年生の頃となります。 中学校時代は柔道をしていたそうで、この時も夏休みに入って直ぐの稽古があり、写っている面々が、柔道部の一年生から五年生全員と先生だそうです。 真ん中後列に伯父の姿が見えますが、中学生になった少し厳ついような伯父が写っています。 そして下の写真も柔道ですが、こちらは学校の道場で撮影したようです。 天井が高く、神棚もある柔道場のようですが、左にはたくさんの名札が下がっているように見えます。 また右側には柔道の技と、各稽古日が掲示されています。 《水曜四年五年・木曜一年二年・土曜有志 選手》等と曜日によって稽古の学年が違っているのが判ります。
3列目右端に伯父の姿が見えますが、良く見ましたら伯父の帯の色が最初の写真とは違うようです。 更に伯父の顔も少し子供っぽいようにも見えます。 こちらの写真は撮影日が不明でしたが、帯の色が違い、顔の様子からしますと、昭和7〜8年頃の写真のようです。 更に下の写真も同じ柔道場での写真ですが、《昭和十一年度 寒稽古記念 第四・五學年》とプリントされていますので、中学四年生と五年生の冬の稽古の時の記念写真です。 前回なかった額も神棚上に置かれ、伯父の柔道着の帯も黒帯になっているようです。
「中学時代に柔道をしていたおかげで、体の基礎も出来たと思うし、軍隊に入隊した後も、受身が自然に出来て、いろいろと役立ったことがあったなからな〜」 と言いながら、軍隊時代のさまざまな話をしてくれました。 |
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