3-25.昭和5年・大宮公園 遠足   ・ 


小学校六年・大宮公園 遠足/昭和5年

写真裏には日付と場所の記載があり、昭和5年10月に埼玉県の【大宮公園】に遠足に行った時のもので、根岸尋常小学六年生の時の様子です。

【大宮公園】とは、埼玉県の初の県営公園として明治17年に整備された公園です。
その以前は明治政府の発令した《神仏分離令》によって、元々氷川神社の境内であった一部を、国有地化し【偕楽園】として整備されますが、その時は小路が作られ、ベンチが置かれた程度の小さなもので、公園と呼ばれるようなものではありませんでした。
その後、東北本線大宮駅の誘致とあわせ、近隣住民の働きかけ等によって明治17年に【大宮公園】として開園します。

その後も公園は徐々に整備され、写真の撮られた前年の昭和4年には、東武野田線【大宮公園駅】も開業します。


根岸小学校から近い上野駅や鶯谷駅からは、国鉄(現JR)で大宮駅まで1本で、東武野田線で【大宮公園駅】まで2駅ですので、この時も国鉄を利用し、新しく出来た東武野田線で行ったようです。

伯父も
「確か第二学級で先生は笠先生だなぁ〜最後の遠足だったと思うな・・・」
と思い出していましたが、前列右端にも伯父の姿が見えます。
撮影は、小学校の写真で時々登場します【豊田春光堂】さんのようですので、遠足に同行していたと思われます。


それにしても写真を見て驚くのは、当時の男子生徒と女子生徒の違いです。
男子生徒は服装と言い、顔立ちと言い、昭和初期の感じがしますが、女子生徒は、とても垢抜けていて、写真がカラーでもあれば、現在の小学生とあまり変わらない感じもします。
やはり何時の時代でも女の子の方がませていたのでしょうかね!


現在は公園としての施設以外にも、博物館や体育館、野球場もサッカー場、プールなども整備され、また日本さくら名所百選にも選ばれている広い公園です。
古い写真の時期は10月ですので、樹木はあまり葉をつけていませんが、確かに後ろには桜の樹がみえます。

一方大宮公園の元となる【氷川神社】は、東京や埼玉に数多くある氷川神社の総本社です。
大宮という地名も氷川神社を「大いなる宮居」と称した事に由来するといわれていますが、創建は紀元前とも言われており、上の写真が撮られた後の昭和9年には昭和天皇も御参拝に参られ、記念の碑も立っています。

境内には江戸時代に建てられたお堂も建ち、また氷川神社への2kmの長い参道は、かつては中仙道の一部として使われた事もあります。


創建2400年の氷川神社

2kmも続く氷川神社参道

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