3-13.昭和5年・逗子海岸 1   ・ 


逗子海岸/昭和5年・夏

こちらは昭和5年の夏に、家族で逗子海岸に海水浴に行った時の様子です。
この当時の夏の娯楽と言えば海か山へ行く事で、伯父の家族も毎年必ずといって良い程海へ行っていたそうですが、上野からは汽車や電車を乗り継いで行かなくてはならず、それこそ家族皆で行く楽しい一大イベントようです。

写真には、カンカン帽を被り、着物姿の両親に、白い帽子に洋服姿の兄弟たちが写っていますので、海岸に着いてすぐに撮ったものでしょうね。
アングルから見ますと、写真を撮っている人の更に左後に回って、伯父が砂浜すれすれから撮影したようです。

更にこの写真の真ん中をよく見ますと、腕を組んだ若いカップルのような姿が見えます。
下のように拡大してみたら、なんともいえない可愛らしい水着姿で、これだけでも仲の良さが伝わってきます。
実はこの頃から、逗子海岸は若いカップルに人気の場所となってきたそうで、今で言う最先端のデートスポットになっていたのでしょう。



上写真の拡大

更にこの年の夏には、銀座松屋にて日本初の水着のファッションショーも開催され、それまで水着と言えば、明治以来縞々模様の【しまうま】というタイプ中心だったものが、一気に多様化した頃でもあるようです。

因みにこの当時売られていた水着関係の価格は
  水着(純毛ゴム織り)3円90銭。
  帽子          1円60銭〜2円80銭。
  絵日傘         3円50銭〜5円50銭。
  テント傘        8円50銭。
だったようですが、当時の駅弁やランチの価格が30銭程度でしたので、今で換算すると水着が¥13,000前後となりますので、思った以上に高価だったのですね。



逗子海岸から葉山方面の海岸線/昭和5年

上の写真は昭和5年の逗子海岸の様子ですが、今から77年前の風景となります。               

逗子海岸は約1km程の湾になっており、湾内は遠浅の海岸になっていることから、当時は家族連れの海水浴客に人気で、写真にも、子供達の姿も多く、また随分遠くでも泳いでいる事が判ります。

下の写真は現在の逗子海岸の様子ですが、77年前と比較しますと、山の形はそのままですが、先端部分が葉山の漁港として、またヨットハーバーとなり、随分と海に突き出してきました。


現在の逗子海岸

そして、この逗子海岸は、八百年の歴史をもつ流鏑馬でも有名です。
八百年前と言いますと鎌倉時代のことで、当時は鎌倉八幡宮で実施されていたようですが、終戦後に進駐していた米兵に披露した事からこの逗子海岸で行われるようになり、以来現在まで続いています。

また、明治時代に、日本で初めてヨットが帆走した事から、葉山は日本のヨット発祥の地と言われ、葉山港には【日本ヨット発祥の地】なる碑もありましたが、そうした事もあってか、現在の逗子海岸は、ウインドサーフィンやヨットを楽しむ人達で賑わっています。


葉山港 ヨット発祥の地碑/平成19年5月撮影

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