3-6.昭和5年・上野桜木自宅前・ベストポケットテナックス 1930年 ← ・ → |
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小学六年生の頃に、念願かなってついに新しい本格的なカメラを手にしました。 トーゴーカメラでカメラに目覚めた伯父が、次に手にしたのは【ベスト・ポケット・テナックス】といい、1905年頃にドイツで製造販売された、手のひらサイズのまさに今のコンパクトデジカメと同じようなサイズです。 値段も円カメの1円に対して200円!という高級カメラで、この頃東京近郊の家が帰る程だったそうです。 尚、このカメラについては、《昭和初期の道具【カメラ】》に詳しく掲載しております。 このベスト・ポケット・テナックスで撮影した写真が、当時のプリントや乾板と一緒にたくさん出てきましたが、スキャナーで読み込むと画像は今でも鮮明です。 そして最初に撮ったと思われるのがこのページの写真で、家の前や兄弟の写真です。 一番上の写真は自宅の門の前で女中さんと一緒に撮った弟兄弟ですが、とても楽しそうな表情が印象的です。 この頃になると、既に男の子の普段着は、着物から洋服になっているようですが、暑い夏なのか写真のようなワンピースも多かったようです。 でも足元はやはり下駄か雪駄ですね。
上の写真は平成15年7月に伯父の家を取り壊す前に、当時6歳の娘と一緒に撮ったものですが、ちょうど昔の写真の子供たちと同じような年齢の頃です。 門の前に立つ位置が、上の写真と左右変わっており、門の一部が補修されている以外は、塀や屋根等は当時のままの状態でした。 よく見ますと門の中に小さな内戸がありますが、お客様はこの内戸から出入りをし、家人は塀の木戸(右の開いている戸)から出入りをし、更に人力車が来ると、大戸が開くようになっているそうです。(茶色い部分全体が左に開きます) |
上は昭和5年当時の伯父宅前の小路です。 言問通りよりも二筋ほど入ったところに位置した狭い通りですが、道路左手前の二階建の家が伯父の自宅です。 そして下が現在の同じ通りになります。
昔の写真と見比べますと、家々や塀等はすっかり様変わりしているのが判ります。 道路も綺麗な舗装になり、側溝も見えなくなっていますが、道幅や電柱の位置等、当時の様子を残している部分も見当たります。 取り壊された伯父の家のみが、この通りでは唯一昔のままの姿でした。 下は向かい側の家の塀の前で兄弟とお友達を撮ったものですが、普段はこの小路が伯父たちの遊び場だったそうで、伯父たち兄弟にとって、いろいろな思い出がたくさん詰まった小路です。 一番上の自宅門前の写真と比較しますと、塀の造りや隙間が微妙に違っているものの、基本的に当時の上野桜木の家々は、こうした感じの木造の塀や門の家が、多く建ち並んでいた事が判ります。 道路端の側溝も、もちろん蓋等もないそのままの状態で、いわゆる[どぶさらい]なども定期的に行っていたそうで、隣近所とのお付き合いも多かったそうです。 また写真を見ても判りますように、未舗装ながらもきちんと整った道だった事も判ります。
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