1.昭和初期の道具・カメラ → |
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築100年を越すと言う、伯父の自宅取り壊しの前に、私は何度となく古い家に足を運びました。 幸いにも伯父の家と私の住まいが近いことから、暇があるごとに訪れしたが、当時85歳の高齢にもかかわらず一人暮らしだった事から、引越しの準備や、古く要らなくなった物の処分や整理など、細かい作業がいっぱいありました。 なにぶん、二階建ての一軒家から、次の住まいは1LDKのマンションです。 処分できるものは処分しなくては!と思って後片付けをしていましたが、そんな引越し準備の最初の頃に伯父から託されたのが、昭和の古き良き時代を写し続けたカメラです。 1905年頃に作られたという、ドイツ製のコンパクトタイプの、「ベスト・ポケット・テナックス」というカメラですが、なんと百年前のカメラという事になります。 |
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右のように、女性の手のひらに入る位の小さいカメラですが、なんとこれ一台で、当時は郊外の家が買えたほど! と聞くと、主婦の身としては間違いなくカメラより家を選ぶでしょう! 最初の頃は、カメラに興味もなかった事もあって、単なる古い道具の一種と思っていました。 でもこの小さいカメラが今の私たちに大きな贈りものをしてくれたと思いますと、不思議な感じもします。 根岸尋常小学校の4年生の頃に、通称【円カメ】と言われた、【トーゴーカメラ】でカメラに目覚めた伯父は、次第に 「ちゃんとしたカメラが欲しい!」 と思うようになり、父親に常々本格的なカメラが欲しいと懇願していたそうです。 仕事柄さまざまな方々と接する機会が多かった祖父は、たまたま小西六の関係者と知り合いだった事から、カメラのことを話してくれ、その後何とかこのカメラを手にしたそうです。 今のようにTVもなければ、子供用の玩具も限られていた時代ですから、すぐさまこのカメラに熱中し、手当たり次第撮って行った事は、想像ができます。 実際にカメラを手にすると、思った以上にずっしりと重く感じます。 普段は上のようにコンパクトで、現在のコンパクトデジカメと同じくらいの大きさですが、カメラのストッパーを外すと、じゃばらのように本体が飛び出します。 |
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このカメラは、昨今のフィルムではなく、ガラス板、いわゆる乾板を用いるカメラで、上はその乾板を入れるカートリッジです。 1番から6番まで番号が刻印されていますが、このカートリッジに乾板をセットした状態でカメラを持ち歩き、撮る度にカートリッジをカメラに装着し、交換していったそうです。 という事は、6セットありますので、最大で6枚の連続撮影が可能だったという事ですね。 でも連続と言っても今のデジカメの連続撮影ではなく、フィルムのカートリッジを入れ替える連続です・・・。 今では、デジカメの機種や記録メディアによっては、軽く1000枚以上もの連続撮影が可能なカメラが多いようですが、当時6枚しか連続撮影が出来ないという貴重な時代に、数々のスナップ感覚の写真を撮り続けたという、伯父のカメラ好きが伺えます。 そのカートリッジの一つには、乾板がそのままセットされているのもありました。 |
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カメラのバックの中には、【さくらフィルター】なる黄色と赤色のフィルターも入っていました。 撮影状況によってはフィルターをセットし、レンズ部にネジで止めて撮影したそうです。 それにしてもフィルターの【ィ】の文字が今では使わない【井】です! ここにも時代を感じます。 |
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カメラの後ろを広げ、ストッパーで広げっぱなしにすると、撮影状況がそのまま覗けるようになっていますが、今のデジカメと同じですね。 ファインダーらしきものも前後についていますが、ファインダーというよりもなにやら目印のような感じです。 カメラ本体には、ちゃんと絞りや露出等も付いており、現在のカメラのマニュアル撮影と同じようです。 但し、ピントに関しては、もちろんオートフォーカスなどはなく、自分の目測であわせていたそうです。 シャッターは今でも動きますので、乾板さえあれば、今でも撮影ができる状態のようです。 それにしても、このカメラが百年前に製造されたとは、とにかく驚きの一言です。 |
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こちらのカメラも伯父が使っていたカメラや、義父が使っていたという古いカメラです。 下の【CONTAFLEX】というカメラは、ドイツのツァイス・イコン社が戦後に製造したカメラです。 戦後に手にしたカメラで、いわゆる最近まで流通していた35mmフィルムを使うタイプで、とても使いやすいカメラだったそうです。 伯父が知り合いから譲り受けたカメラで、比較的高価なカメラだった事から、この時は譲り渡し証明書などをお互いに交わしたほどだったようでが、結構ずっしりとした重量感のあるカメラです。 この頃になると町中にも現像のお店が増えてきたそうで、このカメラを手にしてからは自分で現像することもなくなってきたようです。
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下は義父が所有していた【ローライフレックス】という、昭和7年に製造された二眼レフカメラで、上から覗いて撮影するタイプです。 このカメラも当時は高価なカメラだったそうで、フィルムは六×六版の、大判のフィルムです。 今でもローライ社はこういった二眼レフカメラを製造しており、最新式はフィルムもデジタルも両方使えるというカメラのようです。 右の箱は、自宅で印画紙にプリントする器機で、上の赤いガラス部分に印画紙をセットし、中にネガを入れます。 電気の差込口が見えますが、これをつないで、中の電球を点灯してプリントするようですが、町のカメラ屋さんが少なかった当時は、こうした箱を使って写真をプリントしていたそうです。 残念ながらソケットの形状が今とは違う為、点灯はできませんでした。
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トーゴーカメラやベスト・ポケット・テナックス、コンタフレックス以外にも伯父はベビーパールといったカメラなどを手にしていたそうですが、伯父にとってはカメラは日常用品的に使っていたようです。 まさに現在の私たちのデジカメと一緒の感覚だったのでしょう。 そして90歳となった今は、何とコンパクトデジカメを愛用しています。 「軽くて小さくてポケットに入って便利になったな〜」 と言いながら、外出するときはいつもカバンのポケットに入れて、何時でも何処でも撮影が出来るように持ち歩いています。 普段は杖を突いて歩く伯父ですが、今でもカメラを手にした時の姿は、しゃきっとしています。 去年75年ぶりに千葉に旅行に行った際も、モリアオガエルを見つけて早速撮影をしていました。 右はその時の伯父の様子と、実際に伯父が撮影したモリアオガエルです。 |
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