6-39.昭和16年・隅田川ボート 4 艇庫にて   ・ 


大学艇庫前にて/昭和16年

さて、こちらの写真はボート乗りたちの典型的なポーズです。
一番左が伯父のようですが、この頃は隅田川での大学対抗ボート競技が盛んで、川沿いに各大学艇庫(ボートの倉庫)が多く、伯父の通っていた東京外語学校のボート艇庫も隅田川の向島にあったようです。
その後河川の開発と同時に、行き交う船も多くなり、ボート競技に支障をきたすようになって来た為、大学の艇庫は尾久橋近辺に移動していったそうです。

戦後になり大学艇庫は一旦向島に戻ったものの、結局ボートレースも隅田川から戸田川に移り、同時に各大学の艇庫もほとんどが戸田橋近辺に移り、隅田川でのボート競技は姿を消したそうです。
現在でこそ、隅田川のボート競技と言えば【早慶レガッタ】が有名ですが、このレースも一時期は他で行っていたものが、紆余曲折あって、ようやく昔のように隅田川に戻ってきたそうです。

写真も尾久橋近辺の大学艇庫前で撮ったようですが、隅田川の川面がすぐ見えますし、川幅も広く感じます。

残念ながら、今の墨田川には高い堤防が延々と続き、別名【かみそり堤防】とも呼ばれている程です。
また古い地図を見ても、尾久橋近辺は埋め立てが多く、川幅も以前よりだいぶ狭くなっている事がわかります。

また大学艇庫があったと同時に、競技用ボートを製作する工場も、この尾久橋近辺には多かったそうです。
が、大学艇庫の移転と共に工場も姿を消して行き、最近まであった大きな造船所も、他に移転していったようです。


こちらは練習が終わって艇庫前での一休みでしょうか?
この尾久橋の艇庫から前の頁の吾妻橋近辺までは10キロ程ありますので、結構な距離を漕ぐことになります。
写真手前が伯父で、後ろはフランス語の同級生たちです。
後ろにはボートを保管する艇庫入り口もちゃんと見えますし、座っている足元は浮き船台のようです。

現在も東京外語大学にはボート部があり、戸田橋近辺では五大学レガッタが毎年開催されているようです。
また、学内対抗競漕大会は現在で90年以上の歴史を持つという、伝統あるボート競技のようです。
伯父に「ボート部だったの?」と聞きましたら、
「ボート部ではなかったけど、各語学クラス対抗のレースに出たときのものだよ!」
と教えてくれました。
また一緒に写っているメンバーの名前はもちろん、どこに就職したか?またどこの軍隊に行ったか?なども覚えているようで、いろいろと教えてくれました。

そしてタンスの引き出しから出して見せてくれたのが下のベルト用バックルです。
この時の学内対抗ボートレースの記念品だそうで、2601という皇紀年号と共に、9人乗りの競技用ボートが描かれていました。

そしてもうひとつ見せてくれたのが、最近の東京外語大学の冊子で、そこには今年の学内語部対抗ボートレースの結果が載っていました。


皇紀2601年度 学内対抗ボートレース記念品

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