5-38.昭和初期・上野山下と駅構内 ← ・ → |
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先の夜景は広小路方面を撮ったものですが、反対側の上野山下付近(上野駅方面)を撮った絵葉書が上です。 《上野公園正面の坂を降りて、上野驛に行く途中の交通網であります。省線電車が高架線を疾走し、地上には市内電車や乗合自動車が、櫛の歯を引くやうに右往左往してをり、この下には地下鉄が走っています。電車自動車の交通の頻繁なことは、東京でも有数のところです。》 との説明文が添えてありましたが、省線電車(省電)は国鉄になる前は、運輸省などが管轄だった事から、略して省電と呼ばれていたものです。 説明文のように電車や市電が走り、交通量の激しい事が判ります。 また行き交う人々は和装洋装と半々で、道路には自動車も見えますが、大八車やリアカーの方が多いように見えますし、市電はなり古いタイプのようです。
この場所は今も当時と同じようにJRが通り、下はバスや乗用車が走り、地下鉄銀座線や日比谷線が通ります。 電車やバスの形こそ違いますが、今も上野駅前は多くの人で賑わいます。 そしてもう一枚は昭和7年の開業当時の上野駅構内の様子です。 この駅が出来た昭和7年には、既に常磐線や高崎線、そして東北本線などが乗り入れしており、北の玄関口と言われるようになりました。
平成15年には、上野駅の改装が終わり、綺麗なショッピングモールやレストランも出来、イメージが変わった上野駅ですが、天井の様子や壁の丸味などは、昔の面影を残しますね。 現在は東北新幹線や上越新幹線、北海道方面や北陸への寝台特急や地下鉄なども乗り入れ、1日の乗降人数は40万人とも言われています。
このたくさんの人が行き交う上野駅で問題となっているのが、地下水です。 戦後、地下水の汲上が増えたことで、地盤沈下が起き、その後は地下水取水制限を行ったところ、現在は逆に地下水が増えすぎ、このままでは上野駅が地盤沈下と逆に浮き上がってしまい、ホームなどが崩壊する恐れがあることです。 その為上野駅地下4階には3万トンを超える鉄板が敷かれ、地下水の上昇を押さえているのが現状です。 ただ近年になり、この地下水を不忍池に導入を開始し、結果、不忍池の水質改善にも役立っているようです。 |
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