5-36.昭和11年頃・上野公園前 夜景  


上野公園前夜景/昭和11年頃

上の景色は、昭和11年頃の上野から広小路通り方面を撮ったものです。
西郷さんの銅像の近くから、見下ろすように撮影した上野駅前ですが、珍しく夜景です。
この頃のカメラで綺麗な夜景を撮るのは結構難しい事だとカメラマンの方から聞きましたが、伯父は色々な事をしてカメラを楽しんでいたようです。

道路左側には自動車が通ったライトの跡が見えますが、反対車線には見えません。
昔の車の後部ライトが暗かったからでしょうか?
道路中央にあるのは、市電の停留所ですが、手前は《上野公園駅》で、奥の交差点が《上野広小路駅》です。
また写真一番右には《上野日活》のネオンが見えます。

そして下が、同じ場所から撮影した上野駅前の様子で左は平成17年で右が平成19年です。


平成17年 同じ場所から撮影

平成19年 同じ場所から撮影

現在の様子と比べますと、周りの建物はすっかり変わってしまっています。
唯一変わっていなかった左側手前の【京成聚楽ビル】も、最近になって取り壊されてしまい、今は新しいビルが建っていますが、この【京成聚楽ビル】は昭和11年3月に京成本社ビルとして落成し、5階建てのビルは、日本初の【食堂デパート】としてもオープンしました。


最上階には【京成聚楽】という看板があり、中ほどには【食堂デパート】の文字が見えます。
そして1階には【千葉・成田方面のりば】と読める文字も見えますが、当時は入り口はこちら側にもあったのですね。

その後、京成本社ビルは増築して7階建となり、その三角の横長の姿から、【軍艦ビル】とも言われて親しまれました。
確かに昭和11年の写真では5階建ですが、平成17年の写真では7階建てになっているのがわかります。


正面の大きな塔はマークから見ますと【仁丹塔】のようです。
【仁丹塔】と言えば浅草が有名でしたが、実はここ上野にも建てられていたことがわかります。
またその下には《カフェー》の文字も見えます。
更に手前《高島屋》のマークも見えますが、建物の規模からしますと、これは昭和6年頃に登場した【高島屋10銭ストア】でしょうか?

更に道路左の看板には、現在は浅草に構える、牛なべお料理【米久】の看板が見えますが、当時は上野にもあったようです。
米久の前にはタクシーが止まっているのも判ります。


正面右手でひときわ光っているのは、以前広小路にあった【野村時計店】の大きな時計のようですが、当時のこの近辺はネオンや電気が華やかに光っていたのですね。

そして写真右側には、昭和8年開業の京成上野公園駅(現上野駅)の入り口が見えます。
今では駅入り口が倍以上に広くなっていますが、同じ場所にあります。

ところで、古い夜景には人影がまったく見当たりませんが、これは人がいないのではなく、長時間シャッターを開けていたため、人が写っていないからのようです。


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