5-34.昭和11年・日帰りハイキング ← ・ → |
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昭和初期からのハイキングブームを物語るような、【日帰り婦人子供ハイキング】のチラシがありました。 募集人員は何と500名で、参加費は大人80銭、子供40銭です。 主催は、東京日日新聞社、東京鐵道局、日本旅行協会(ジャパンツーリストビューロー)となっておりますが、この時代は新聞社と鉄道局が企画したハイキングが流行り、さまざまなハイキングツアーが開催されていたようです。 チラシにはスタンプが押されていますが、《観光祭》の文字と、《昭和十一年》が見え、4月開催らしく桜の花と国会議事堂が描かれています。 この国会議事堂は、丁度昭和11年に完成した事もあってスタンプに押されているものと思われます。 また、行程地図の上にも、《東京の四月》という文字と上野の西郷さんのスタンプが押されています。 さてハイキングツアーの行程を見ますと
と記載されていますが、省電というのは現在のJRのことで、国鉄になる前はそ鉄道省や運輸省が管轄していたことから《省電》と称されていました。 新宿駅を出発と記載されておりますが、昭和9年には、登山やハイキングブームの影響で、新宿駅の乗降客は30万人という記録もあります。 所要時間が《五万分》という表記も珍しいですが、お土産の《風船進呈》も、子供たちの心を掴むアイテムだったようです。 尚、對欧荘(対鴎荘)というのは幕末の公卿であり、明治天皇の側近だった三条実美公の元別荘で、昭和4年に隅田川沿いから連光寺に移築されたものです。 老朽の為、既に解体されていますが、今でも【対鴎荘前】というバス停や【対鴎台公園】等が残っています。 こうしたハイキングなども既にJTB等が主催していた事が判りますが、タイトルの【婦人子供】というのは、【昭和8年・萬国婦人子供博覧会】のタイトルにもあるように、この頃はよく使われていた言葉のようです。 因みに開催日の昭和11年4月26日は日曜日のようですが、雨天の場合は4月29日となっています。 この日は現在《みどりの日》で国民の休日ですが、昭和は《天皇誕生日》と言い、戦前は《天長節》と言われ、当時も祝日だったようです。 こうしたチラシをみても、当時の様子が判るものです。 |
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