3-3.昭和4年・三宝寺池 1929年   ・ 


 石神井公園 三法寺池 遠足/昭和4年
この写真は昭和4年4月21日に撮影されたもので、写真裏には《昭和四年四月二十一日 根岸小学校第四男女遠足 三法寺池ニテ写ス》との記載があります。
と言う事は、当時根岸小学校の四年生だった次男たちが、現在の練馬区石神井公園【三法寺池】に遠足に行った時の記念写真のようです。

この【三法寺池】は、井の頭池や善福寺池と並んで【武蔵野三大湧水池】と言われ、この武蔵野の大地の地下水が湧出してできた池で、近くの三宝寺の寺領であった事から【三宝寺池】と言われています。
かつて鎌倉時代には石神井城池の側に建ち、江戸時代には将軍の鷹狩の場ともされ、【江戸名所図会】にも、この三宝寺池が描かれている程、自然の宝庫だったようです。
また沸き出る地下水は枯れる事がなく、大正9年には、日本初の100mのプールが池の水を利用して作られた程水が澄んで綺麗だったようで、戦前までは近隣の人達や、電車等を利用して訪れる人で賑わったそうです。


写真は昭和4年のものですので、この時もプールはあった事と思います。
現在はさすがに写真のような今にも壊れそうな感じの橋は無くなっていますが、この写真を見ても、男の子よりも女の子の方が、ちょっと大人びて見えますし、カラー写真であれば、今の子供達と変わらない感じもします。


また写真右端を拡大しましたら、後ろにもたくさんの子供たちが待っているのが見えます。
写真裏にあるように、根岸小学校の4年生全員で遠足に来た事がわかります。

台紙の右下を見ますと【豊田春光堂】という文字が見えます。
住所や電話番号も《東京下谷坂本/電話・下谷三四七二番》とプリントされていますが、町名も局番もない、なんとも簡単な住所表示と電話番号ですね。
当時は一般家庭での電話普及率はまだまだ低い時代で、写真館という商売を営んでいた事から電話があったのだと思います。
因みに昭和4年の電話帳を調べましたら、この番号は豊田百三郎さんの番号で、住所は下谷坂本2-26となっていましたので、写真館のご主人のお名前だと思います。
残念ながらこの写真館は現存していないようですが、根岸尋常小学校の遠足の写真では、度々この写真館が撮影をしているようです。

更に当時の伯父の家の電話を調べましたら、平井唯八の名で、《下谷83-2973》が伯父の家の電話番号でした。

そしてもう一つ日本橋の斉藤弁之助商店を調べましたら、齋藤辨之助の名で、
 日本橋区堀江町1-3 《浪速67-0246》
 日本橋区堀江町1-7 《浪速67-0383》
 日本橋区堀江町1-7 《浪速67-3876》
と三つの電話番号が見つかりました。

当時の斉藤弁之助商店は、日本橋の綿糸問屋でもトップクラスの商いだったそうで、伯父の父はそこで番頭という立場でお店を取り仕切っていましたので、取引先との電話も多かったのだと思います。


現在の三宝寺池

古い写真の子供達の後ろには、細長い建物や三角屋根の建物も写っていますが、この建物はどうやら大正時代から続く【豊島屋】さんという休憩所のようで、現在も三法寺池の傍で営んでいます。

店内にもそうした古い佇まいが各所に残っており、天皇陛下がお越しになった際には、こちらで休息をされた場所でもあるそうです。

そして右2枚目の写真が、古い写真と同じように、休憩所をバックにして撮った現在の様子です。
この三法時寺池は何度か整備がなされたそうで、写真に写るかつての橋はなくなり、この場所は池ではなく、植物の保護のための湿地帯として手厚く整備されていました。

昭和10年になると、この池には氷河期頃から生息している珍しい植物が見られる事から、【沼沢植物群落】として国の天然記念物に指定され保護されます。

現在も池の周りを保護する為に、綺麗な遊歩道が設けられ、散策や散歩をする人たちで賑わいます。



大正時代から営業を続ける休憩所

古い写真と同じ近辺から撮影
自然が豊かな三法寺池は野鳥類も多く、訪ねた時もカルガモの親子が水辺で休んでいましたが、数少ないカワセミが生息する場所でもある事から、アマチュアカメラマンが多数カメラをセットしてカワセミの登場を待ち望んでいました。

他にも、魚釣りやザリガニ釣りをしている親子がいたり、池にも鯉やカメがたくさん泳いでいましたが、この【三宝寺池】を有名にしたものの一つに、10年以上も前に起こったワニ騒動があげられます。

『池でワニが泳いでいる!』との通報から、テレビや雑誌で大騒ぎになり、大規模な捕獲作戦も実施されましたが、結局は見つからず終いでした。

その後もワニではなく、ワニガメが見つかったりもしていますが、実は古くから「不思議な生き物がいる」という噂がささやかれています。

また、この三法寺池近辺には、平安時代から室町時代にかけて石神井城というお城があった場所でもあり、【石神井城跡の碑】もあります。

この石神井城主の娘【照姫】が落城と共に、池を身を投げ入れたという伝説があり、現在も毎年【照姫祭り】が開催されています。

因みにこの時代、この近辺を治めていたのが、豊嶋氏と言われ、昭和2年開園した【豊島園】の名は豊島城跡に遊園地が出来た事に由来します。
前述の休憩所の【豊島屋】さんもそうした豊島氏の関係で名付けられたのでしょうか?

と、ここまでの写真は、伯父が撮影したものではなく、主に写真屋さんが撮影したり他の方が撮影した古い写真中心でした。
ここより以降は、伯父が小学校の5年生になった頃から、カメラを手にしてさまざまなシーンを撮り続けた写真を中心にお送りします。

現在の三宝寺池/平成19年5月撮影

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