昭和18年頃 士官学校演習援助参加記念 /清水さん所蔵 |
伯父が持っていない写真を何枚も清水さんがお持ちでしたが、こちらも伯父と清水さんが写る写真です。
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《士官学校演習援助参加記念》とのタイトルが付いていましたが、富士山の麓の演習場で、士官候補生の演習を行った際、班長の補助として伯父と清水さんが同行した時の記念写真のようです。
士官候補生70名に対し、伯父や清水さんたち教官側は11名の計81名の演習だったようです。 |
【7-10.昭和17年・北富士演習場】は北富士演習場の写真ですが、なんとなく富士山の雪景色が似ていますので、同じ北富士演習場だったかもしれません。
ただこの時の伯父の階級章を見ると伍長のようですので、北富士演習場の写真より1年経過した、昭和18年春以降の写真と思われます。
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前列中程 清水さん |
前列真ん中 伯父 |
そしてこちらは拡大した写真ですが、左側が清水さんで、右の写真は伯父が写っています。 |
よく見ると、新兵さんたちの胸には名札らしきものが見えますが、肩の階級章は見当たりません。
逆に清水さんや伯父たちには名札ありませんが、階級賞がちゃんと付いている事が判ります。
つまり名札をしている方々が、士官候補生の新兵さんだったと思われます。
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一番左の方が手にしているものは旗のように見えますし、更に左の写真の奥には、樹木の横に人が歩いているのが見え、広大な演習場だった事がわかります。 |
昭和18年頃 分隊長佐久間軍曹 各個訓練/清水さん所蔵 |
こちらの写真には伯父は写っておりませんが、《分隊長佐久間軍曹 各個訓練の助手として》のタイトルがあります。
上の記念写真のように、新兵さんらしき方々の胸には名札があり階級章がありません。
また佐久間軍曹とは、記念写真の中で伯父の右隣に座っている方に見えます。
とすると、富士山麓の演習の時は新兵さんたちは14〜5名の分隊に分かれ、下士官1名助手1名の体制で訓練をしていたかもしれません。
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【近衛歩兵時代・同じ釜の飯 3】へ続く…
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