7-23.近衛歩兵時代・同じ釜の飯 2   ・ 


射撃優勝中隊/清水さん所有

こちらの写真も【昭和17年・酒保】に掲載している酒保での宴会の様子ですが、清水さんも同じ写真をお持ちでした。
清水さんによると、この時は長年御世話になった【山崎軍曹】の召集解除のための送別会の時の様子との事でした。
山崎軍曹とは、伯父や清水さんが大島隊の内務班四班に所属していた時の班長を務めていた方で、伯父の写真にも時々写っている方です。
軍隊ではこうした宴会などは度々行われていたそうで、上官と部下の関係も、私たちが思っているような厳しい関係のみではなかったそうです。
伯父からも聞いていましたが、評判の悪い上官がいると、上官が部屋に入ってくるなり電気を消し、袋のようなものを被せたり毛布を巻いて、兵隊たちが殴るなど、まさに袋叩きのような目にあう事もあったようです。
が伯父や清水さんたちの班では、親睦のための宴会が年に何回も行われていたとの事です。



改めて写真を見ましたら、また色々な事が判ってきました。
乱雑なテーブルですが、食器にはみな名前が入っているようで、奥のカップには高木という名が見えます。
スリッパにも名前が入っていますが、右側のねじり鉢巻の方のスリッパには原田という名が見えます。
そういえば伯父は生前この写真をみて、『彼は古参兵の原田さんだよ!』と言っていた事を思い出しましたが、改めて伯父の記憶力の良さが判る1枚です。


左上はざるを被ったりお椀を被ったりひしゃくを持ったりと、まさに大騒ぎのようですし、右上の写真の方はビール瓶を頭に持ちながら、左手にあるのはサーベルのようです。
軍隊でこうした事があるとは思ってもいませんでしたが、こうなるともう漫才の乗りのような感じがします。
左下はなにやら酒瓶を持っているようですが、上下関係も宴会にはなかったかのような大騒ぎです。
そんな中、右端の帽子だけが、ここが軍隊である事を静かに語っているようです。




昭和18年頃 士官学校演習援助参加記念 /清水さん所蔵

伯父が持っていない写真を何枚も清水さんがお持ちでしたが、こちらも伯父と清水さんが写る写真です。
《士官学校演習援助参加記念》とのタイトルが付いていましたが、富士山の麓の演習場で、士官候補生の演習を行った際、班長の補助として伯父と清水さんが同行した時の記念写真のようです。
士官候補生70名に対し、伯父や清水さんたち教官側は11名の計81名の演習だったようです。
【7-10.昭和17年・北富士演習場】は北富士演習場の写真ですが、なんとなく富士山の雪景色が似ていますので、同じ北富士演習場だったかもしれません。
ただこの時の伯父の階級章を見ると伍長のようですので、北富士演習場の写真より1年経過した、昭和18年春以降の写真と思われます。


前列中程 清水さん

前列真ん中 伯父

そしてこちらは拡大した写真ですが、左側が清水さんで、右の写真は伯父が写っています。
よく見ると、新兵さんたちの胸には名札らしきものが見えますが、肩の階級章は見当たりません。
逆に清水さんや伯父たちには名札ありませんが、階級賞がちゃんと付いている事が判ります。
つまり名札をしている方々が、士官候補生の新兵さんだったと思われます。
一番左の方が手にしているものは旗のように見えますし、更に左の写真の奥には、樹木の横に人が歩いているのが見え、広大な演習場だった事がわかります。



昭和18年頃 分隊長佐久間軍曹 各個訓練/清水さん所蔵

こちらの写真には伯父は写っておりませんが、《分隊長佐久間軍曹 各個訓練の助手として》のタイトルがあります。
上の記念写真のように、新兵さんらしき方々の胸には名札があり階級章がありません。
また佐久間軍曹とは、記念写真の中で伯父の右隣に座っている方に見えます。
とすると、富士山麓の演習の時は新兵さんたちは14〜5名の分隊に分かれ、下士官1名助手1名の体制で訓練をしていたかもしれません。
【近衛歩兵時代・同じ釜の飯 3】へ続く…


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