7-14.昭和17年・射撃優勝中隊   ・ 



近衛歩兵第四連隊 大島隊兵舎前/昭和17年

前述の【7-11.昭和17年・近衛歩兵第四連隊大島隊】と同じ兵舎前の写真が何枚かありました。
伯父によると、大島隊の面々が写っているとの事でしたが、何人かの階級などから昭和17年の写真と思われます。
上の写真には伯父が写っていませんし、ネガがいつものカメラのネガだったことから、これらの写真は伯父が撮影したようです。


写真を拡大してみると、右端と左側の方の勲章が見えました。
この方々は他の写真でも写っている方のようでした。
兵舎左の窓には何か変な形のものが下がっているように見えますが、これはカーテンでしょうか?
また、写っている方々の足元は皆さんゲートルを巻いていますので、何かの演習などの帰りだったのでしょうか?



こちらの写真も同じ兵舎前です。
立っている方の後には塔のようなものが立っていますが、よく見ると、【射撃優勝中隊】と書かれているのが判ります。(下左側の写真)
また、足元には何か立てかけるようなスタンドらしきものが見えますが、これは銃を掛ける時の銃架のようです。(下右側の写真)


今年で93歳になる伯父には、射撃優勝中隊のいきさつは記憶がないようでしたが、兵舎前こうしたものが建っていると言う事は、配属された近衛師団第四連隊大島隊は、射撃の大会で優勝した中隊ということのようです。

伯父が他界して後、平成25年の夏に伯父と同じ大島隊にいらした方と会う事ができました。
詳しくは【7-22.近衛歩兵時代・同じ釜の飯 1】に記載しておりますが、上の写真はその清水さんという方です。
また一番上の写真右端に写っているのも清水さんです。
清水さんに伺ったら、伯父はこの青山の部隊に茶道具を持ち込み、清水さんにお茶をふるまった事があったそうで、比較的仲がよかったようです。
下は左が清水さんんが所有している写真で、右は伯父が持っていたにプリントした写真ですが、良く見るとトリミングのサイズが違います。
きっと何かの帰りに集合写真を撮った後、仲の良かった清水さんだけを撮影し、家に帰って何枚か紙焼きをして、ベストなプリントを清水さんに差し上げたものと思われます。
確かに清水さんに差し上げた写真のほうが、ご本人がしっかり写っているようです!


下の写真も同じく兵舎前で伯父が撮影したようです。
こちらはネガはなくプリントされたものですので少々色あせがあるようです。


最初の学徒出陣によって軍隊に入営した伯父ですが、四分一隊を経てからしばらくはこの青山の大島隊に所属することになります。
大島隊には伯父たちのように若い兵隊さんから少し年配の方とさまざまだったそうですが、一度退役した方々も召集されたからとの事です。
その後、昭和18年に【近衛歩兵第四連隊補充部隊】として甲府へ移動となり、最終的には伯父はスマトラへ赴く事になります。


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