6-30.昭和15年・一億一心 ← ・ → |
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昭和15年になると軍事色が更に濃くなり、日常生活においてさまざまな制限が出てきます。 配給制度も始まり、カタカナや英語も使用が制限される反面、戦地の出兵兵士に対しての慰問などが行われるようになります。 そうした中で、国策にそったスローガンや標語が出てきますが、この年によく使われた言葉が 【一億一心】【ぜいたくは敵だ】【八紘一宇】【零戦】【隣組】等の言葉です。 そして上はその【一億一心】を冠した絵葉書の表紙です。 【新體制(新体制)】や【慰問用】等と言った文字も見えますが、作家の千葉かずのぶ氏は戦前の滑稽漫画などを描いていた方で、他にも絵葉書などを出しているようです。 裏面には三越のマークと10銭の値段が貼ってあります。 【一億一心】とは当時の近衛首相がラジオ放送で、「大御心を仰いで一億一心、真実の御奉公を期さねばならぬ」と言ったことに始まります。 【ぜいたくは敵だ】は、昭和15年7月7日に《七.七ぜいたく禁止令》が発せられた後、東京の街角に《ぜいたくは敵だ!》という看板が各所に立てられたことによります。 《ぜいたく征伐》の文字通り、ぜいたく監視隊も出現したそうですが、葉書はまさに看板を掲げ、ぜいたく監視隊のようです。 【健康報國】とは、文字通りに体を健康にし、国に尽くすと言う事で、ラジオ体操はもとより、登山なども健康に良い事から奨励されていました。 左の葉書には【家族ノ新體制】と書かれていますが、《新体制》とは戦前に主張されていた政治運動で、昭和15年に近江首相が《新体制運動推進》を表明し、更に使われるようになった言葉のようです。 右は【盆栽と野菜】となっています、この時代は各家庭では野菜を植える事が奨励されていました。 上野から日本橋方面へ走る昭和通りでも、道路横に野菜が植えられたり、線路の横でも育てられていた記録がありますので、家庭では尚更のことだったのでしょう。 |
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そしてこちらの葉書には【隣組常會】のタイトルですす。 横には慰問袋が積まれ、 一.慰問ノ件 一.防空演習 一.銃後奉公 一.貯金の件 と貼り紙をされた様子が描かれています。 《隣組》は以前からあったものの、昭和15年、内務省によって明文化されます。 町内会の下に位置し、5軒から10軒程の世帯が隣組となります。 戦時下の物資の配給や供出、防災・防空の為に以前よりも組織化されますが、《隣組》という歌も発表され、隣組制度は浸透して行きます。 戦時色が色濃くなるにつれ、隣組は更に組織化され、中には警察のような役割を担う隣組もあったようです。 絵葉書では、隣組の組長の下に集まり、皆で集会をしている様子が描かれていますが、こうした絵葉書を見ても、この時代の様子が良く判ります。 |
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