6-23.昭和15年・ゼミ3 鬼押出しと小諸城址 ← ・ → |
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随分とゴツゴツした岩の上に、八角形のとんがり屋根の建物が見えます。 また写真の右端には、可愛らしいバスも止まっていますが、この写真を見た伯父は、 「お〜これは軽井沢のゼミの時に、バスで行った鬼押出しだな! 展望台だと思うが、あの岩を初めて見た時は凄かった〜」 と申していましたが、伯父に聞くまでは、この写真もまったく不明な写真でした。 【鬼押出し】とは、今から220年以上も前の1783年に浅間山が噴火して出来た溶岩地帯で、世界三大奇勝のひとつとも言われています。 その噴火の様子を見た人達が、『まるで鬼が火口で暴れて岩を押し出したよう・・・』といういわれから【鬼押出し】という名が付きました。 私も行った事があり、確かに大きな溶岩がごろごろとあって、まさに鬼が押し出したという表現がぴったりで、凄い光景が広がっていた記憶があります。 この鬼押出しが観光地と整備されたのは昭和8年の事で、現在の鬼押しハイウェイが出来てバスの通行も開始されますが、写真の建物は昭和10年に建設された、木造三階建ての【岩窟ホール】のようです。 この時同時に遊歩道も整備されますが、この浅間山一帯の道路やバスの整備等は現在の西武グループによって開発されました。 現在は【鬼押出し園】という公園として整備されていますが、公園が完成したのは昭和26年の事ですので、写真はその前になります。 だからこそ上の写真のように自由に溶岩の上を歩けたのかもしれませんが、それにしても大きな溶岩です。 また、現在鬼押出しにある浅間山観音堂は、浅間山噴火による犠牲者を弔う為に、上野の寛永寺の別院として建立されました。 ただし昭和33年建立ですので、写真が撮られた昭和14年にはまだ建っていなかった事になります。 |
小諸城は、今から450年も前の戦国時代に武田信玄によって作られたお城と言われております。 現在はお城はは残っていませんが、当時の石垣や門などは残っており、明治13年に《懐古園》という公園として整備され、現在も公開されております。 また下の写真も胸ポケットにペンを指し、同じ服装ですので、ゼミのときの写真と思って調べましたら、後の石碑は小諸城址の《懐古園》に、昭和2年に建てられたという、島崎藤村の『千曲川旅情のうた』の歌碑のようです。 ゼミというからには、何かの勉強会だったと思われますが、こうして観光等もしていたのですね。 |
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