4-42.昭和8年・修学旅行 富士山麓鉄道バス ← ・ → |
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ここからの写真は昭和8年10月、東京市立第二中学校の三年生時に富士五湖・箱根方面へ修学旅行に行った時の写真です。 最初の1枚にはバスが写っており、大きく全開した窓や昔ながらの三角窓が見えますが、よく見ますとドアは横に開く引き戸のようです。 車体横には【富士山麓電気鉄道株式会社】の文字が見えますが、これは現在の【富士急行バス】です。 「この時の修学旅行は1泊2日の日程だったな〜。」 「確か5クラスだったから、バス6〜7台での修学旅行だった記憶があるな〜とにかく富士山は綺麗だったし楽しかったよ!」 との事でしたが、そうなりますと、バスの定員は25人程度ですね。 |
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アルバムを見ると、上は《吉田驛》と記載されていました。 吉田駅とは現在の富士急行 富士吉田駅の事ですが、当時は【富士山麓鉄道】の駅で、昭和4年開業の駅です。 駅前にバスが並んでいますが、富士吉田に着いた一行は、ここでバスに分乗して各地を回ったようです。 そして右は籠坂峠を走っている所で、全部で7台のバスに分乗して就学旅行を楽しんだようです。 この【富士山麓電気鉄道】は大正15年設立ですが、その前身は、明治時代に設立された【馬車鉄道】で、文字通り馬車が運行していたそうです。 古くから富士山は霊場とされ、古い文献では875年には富士登山の記録があります。 そうしたことから、富士山登山の為の馬車鉄道が早くからあったと思われます。 写真のような乗り合いバスの運行が始まったのは昭和2年ですので、この頃としては最新型のバスだったのでしょう。 また電車よりも早く開業しています。 右には丸味を帯びた屋根のボンネットバスが何台も写っていますが、今のような大型バスではなく小振りのバスといった感じですので、やはり25人乗り程度の現在で言うマイクロバス位の大きさでしょうか? それでも当時としてはかなり大型のバスのようです。 それにしても籠坂峠では、ガードレールも何もない崖道を走っているようですが、昔はこれが当たり前だったのですね。 |
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