4-43.昭和8年10月・修学旅行 富士五湖   ・ 


 修学旅行 山中湖湖畔/昭和8年

伯父は修学旅行にもカメラを持って行き、色々と撮ったそうですが、他にもカメラを持って行った生徒たちもいたようです。
この当時のカメラと言えば、上から覗き込むタイプの二眼レフが多かったそうで、伯父のようなコンパクトカメラは少なかったとの事です。
そして伯父が撮ったこの修学旅行の写真は、その後学校にネガを渡し、学校の案内や、出版物にも掲載されたようです。
その為、修学旅行のネガは残っておらず、プリントだけですが、確かに卒業アルバムには、伯父の撮った風景がたくさん掲載されていました。

 修学旅行 山中湖湖畔/昭和8年

現在の山中湖/平成19年8月
上もそうした写真の1枚ですが、卒業アルバムを見ましたところ、まず上の写真は山中湖との記載がありました。

《山中湖静かなり》
という解説と共に掲載されていましたが、確かに静かな感じが漂ってくる感じの湖です。

ただそれ以上に驚きましたのは、ボート乗り場の橋げたです。

湖面に結構長く伸びて今すが、よく見ますと手摺もなく、しかもそれぞれ高さが違い、更に斜めになっているものもあります。

右の写真も同じく山中湖ですがでは、級友達が楽しげに立っていますが、橋げたは、単に丸太を並べただけのようです。
それでも皆さん当たり前のように立っていますね。

今であれば、危険という事で、すぐさま使用禁止になる事でしょうが、当時はこれくらいの施設は当たり前だったのでしょうね。
多分足を滑らせる人もいたのでしょうが、それはそれで自己責任だったのかも知れません。

この山中湖は、標高が900mを超え、全国でも3番目に標高が高い湖です。
その為夏でも平均気温が20度前後と涼しいことから、古くから避暑地として人気だったそうです。

もちろん現在も避暑や合宿地としても人気で、山中湖村の人口が5,500人に対し、別荘やホテル、民宿やペンション、合宿所など大小あわせて7000軒以上もあり、年間400万人が訪れる一大観光地となっています。

また富士五湖で唯一河川と繋がっており、相模川の源流となっています。

右下は現在の山中湖ですが湖面には桟橋が伸びていますが、そこにはジェットスキーやモーターボートが繋がれていました。



 修学旅行で訪れた精進湖/昭和8年

こちらの写真にも湖や舟が写っていますが、先ほどの山中湖と違って山が迫っており、舟の形も違うようです。
卒業アルバムで確認をしましたら、《精進湖畔にて・・・・》の記載がありました。

修学旅行で訪れた精進湖/昭和8年

先生方が並んで記念撮影をしている様子を、その横から撮ったようですが、こうした写真は、まさに伯父の好きな撮り方ですね。
でもそれがより一層修学旅行の雰囲気として伝わってくる一枚です。

前の修学旅行のバスの写真にも先生方は写っていますが、意外と若い先生もいらっしゃったようです。

皆さんスーツ姿にネクタイで帽子を被り、手にはステッキを持った姿でおしゃれな感じです。

ボート以外に舟も見えますが、突き出た煙突のようなものが時代を感じさせてくれます。

下は同級生と担任の先生のようですが、先生はバスの写真にも写っていますね。

前述の山中湖は富士五湖で一番大きく、この精進湖は、最も小さい湖ですが、逆に最も早くから観光地として開発された湖でもあります。

記録によると、富士山が一番綺麗に見える湖として《東洋のスイス》と英国人が紹介したのが最初です。

明治時代は、多くの外国人が日本のリゾート開発の一翼を担ったようで、軽井沢や日光、箱根や上高地などのリゾート地は、外国人たちによって紹介され、ホテルが出来開発されました。

この精進湖に外国人向けのホテルの【精進ホテル】が出来たのは明治28年です。
その後、昭和13年に上野精養軒が引継ぎ、現在も夏のリゾートホテルとして営業を続けています。

こうした外国人向けの観光地が、修学旅行などで手軽に訪れることが出来るようになったのは、富士山麓鉄道が開業した昭和初期のようです。




修学旅行で訪ねた西湖/昭和8年

今度の写真は西湖の様子ですが、
《静かな あまりに静かな西湖に友を乗せた舟は滑るがごとく・・・》
という説明文と共に卒業アルバムに掲載されています。
他にも富士山の写真と共に、
《仙客来遊雲外》
という漢詩が掲載されていましたが、アルバムの文章ひとつを見ても時代を感じさせてくれます。


この西湖でもボートに乗っているようですが、どの湖もすこしずつ舟の形が違っているのが判ります。
それにしてもずいぶんとたくさんの生徒さんたちが舟に乗っています。
まさに鈴なり・・・といった感じですが、間違いなく定員オーバーでしょうね!

舟から見た西湖/昭和8年

現在の西湖

富士山が綺麗に見える河口湖


隣はこの定員オーバーの舟から撮った西湖の景色です。
湖面に進む舟が静けさをかもし出してくれますが、カラーでないのが残念です。
さぞかし穏やかな良い天気だったことでしょう。

右下は現在の西湖ですが、公園にはたくさんの家族連れが車を停め、花や景色を楽しんでいましたが、晴れた日には綺麗な富士山が望めます。

この【富士五湖】は、富士山の噴火によって出来た堰止め湖です。

また西湖、本栖湖、精進湖の3湖は、かつて同じ湖だったのが、今から1000年以上も前の864年に、富士山大噴火の溶岩流によって分断されたと言われています。

その為3湖は湖底の一部が繋がっており、水面が連動しているといわれています。

更に河川に連結していない為、雨量が多い時などは、湖面が4mも上昇することもあります。

ところで、この【富士五湖】という名称が使われるようになったのは昭和2年からです。

この年新聞社が企画したのが、国民の葉書投票で、日本を代表する八つの景観地を選出する《日本新八景》です。

山岳、渓谷、瀑布、温泉、湖沼、河川、海岸、平原の8部門の中、当初《湖沼の部》で、各湖がばらばらの候補であったものを、現富士急の創始者が《富士五湖》と五つをまとめて提案します。

これが【富士五湖】の呼称の初めと言われています。

因みにこの《日本新八景》は国民の関心も高く、なんと当時の人口を上回る9700万通もの投票があったそうです。
その中で【富士五湖】は《湖沼の部》で360万票もの最多票を得ています。

またこの修学旅行から3年後の昭和11年には、この一帯が【富士箱根国立公園】に指定されました。

右下は現在の河口湖ですが、富士山が綺麗に見える湖で、富士山眺望のホテルが数多くあります。

またもうひとつの富士五湖の本栖湖は、1000円札にも逆さ富士として描かれています。

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