4-26.昭和7年・自宅物干し場   ・ 


自宅物干し場/昭和7年

如何にも元気な腕白坊主たち!という写真がありました。
これは伯父の兄弟や従兄弟たちが集まった時の写真です。
左端から四男、次男、三男、従兄弟、五男、従兄弟のようですが、右から二番目で肩を組まれているのが私の父が五歳の頃です。


上と同じく物干し場での従兄弟ですが、口にしているのはハーモニカのようです。

国産ハーモニカは、大正3年頃には登場していますが、昭和6年に従来よりも吹きやすいマイナー・ハーモニカの登場によって、人気となります。
少年雑誌にも毎号のように広告が入り、入手し易く手軽に演奏出来る事から、若者だけではなく、子供たちにも広まっていたそうです。


こちらも同じ物干し場での伯父です。
弟が撮影したようですので、ちょっと斜めに写っていますが、兄弟で写真を撮っていたようです。

「狭い物干し場だったけど、いつも集まっていたな〜」

という伯父は、この時は13〜14歳の中学生で、こうした兄弟や従兄弟のまとめ役的存在だったようです。

こうした腕白坊主たちが、上野公園や寛永寺の境内、谷中墓地等で遊ぶとしたら、相当賑やかな事になったのでしょう。


下の2枚は二階の物干しから、縁側を撮った写真です。
写っているのは当時伯父宅に住み込みをしていた東大の学生さんと、伯父の中学時代の友人です。
伯父の家には、度々居候さんがいたそうで、多いときは家族やお手伝いさんなど10人以上も寝泊りをしていたそうです。


ところで右の友人が手にしているのは本のようですが、その大きさや厚みといい表紙からしますと、【キング】か【少年倶楽部】のようです。
やはり少年雑誌は絶大なる支持を得ていたようです。


それにしても、毎回伯父が撮り続けてきた写真を見て思うのですが、カメラやフィルムが貴重な時代に、こうしてスナップ写真を撮り続けた事も驚きのひとつです。

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