4-15.昭和7年頃・上野地下鉄ストアビル 1932   ・ 


昭和7年の地下鉄ストア
この写真は、上野駅前に昭和6年6月に建てられた【地下鉄ストア】という地上9階、地下2階のビルで、オープンは昭和6年12月です。

大阪の阪急百貨店を手本にし、東京地下鉄道会社直営のストアとして登場したもので、もちろん地下鉄銀座線と地下通路で直結していました。

伯父も何度かこの地下鉄ストアビルに行ったことがあったそうで、
「日本橋三越や上野松坂屋といった百貨店のような高級感じゃなかったな〜。
どちらかと言うと、庶民的な感じの店だった・・・。」

「でも外の大きな時計が夜になると光って遠くからでもかなり目立っていたので結構人が集まっていたなぁ・・・」
と思い出してくれました。

確かに、ビル壁面には時針、分針、秒針等の針があり、数字の部分は【地下鉄ストア】という文字になっているようです。

その大きさは、文字盤の直径は20mで、秒針は8.4mという世界一大きい交流電気時計だったそうです。

更に、この文字の部分は電気がついて光り、遠くからでもとても目立つ存在だったようです。

尚、昭和6年9月に、この地下鉄ストアで女子店員の募集をしたところ、定員6名に対し600名の応募があったようですが、それ程人気だったようです。
因みに給与は女高卒で月30円で、

時計が光る地下鉄ストアビル/絵葉書

上は《世界大都市大東京》という名の絵葉書の1枚ですが、日本橋高島屋と共に、上野駅前の地下鉄ストアビルが写っています。
文字盤や長針短針が見事に光っているのが判りますが、周りにはあまり高い建物がない時代ですので、これは目立つ事間違いなしのようです。
この時代はまだまだ腕時計などは一般的なものではなかった時代ですので、こうした時計や時計塔などは、観光地や主要駅など随所にあったようです。



現在の東京メトロビル/平成19年2月
そして、こちらが現在の同じ場所のビルです。
【地下鉄ストア】というビルは【東京メトロ】本社の立派なビルに変わり、目の前の道路には首都高速道路の高架や、歩道橋が架かかり、ビル全体を見渡す事ができなくなっています、今もこのビルから地下鉄に直結しています。

住んでいる土地柄、銀座線や上野駅は何時も利用していますが、【地下鉄ストア】のあった近辺も年々変わりつつあります。

古い写真に写っている【地下鉄ストア】の横は旅館だったそうですが、現在は当然のことながらありません。

また【地下鉄ストア】の左隣にあった本屋さんや、【稲荷すし屋】さんも、甘辛い美味しい味と共に何年か前に姿を消してしまいました。


神田須田町地下鉄ストア/平成20年6月

神田須田町地下鉄ストア内靴店/平成20年6月
この【地下鉄ストアビル】が出来た前年に、地下鉄上野駅構内に出来たのが、日本で初の【地下街】こと【地下鉄ストア】です。

その後銀座線が伸びるにつれ沿線の神田駅、日本橋駅、銀座駅、新橋駅と各駅構内に次々に【地下街】が出来ました。

今では地下街は巨大なショッピングモールとなっている地下街が多いようですが、元祖は75年前のようです。

現在は、上野駅地下構内に【メトロピア】という名称で何軒か残っていますが、当時の面影は全く無くなりました。

当時の面影があった食堂街も確か平成2年頃に閉店しました。

現在【地下街】で当時の面影を残しているのは、神田駅の【神田須田町地下鉄ストア】のみのようです。

開業当時の細い階段を降りると、50〜60m程の地下通路になりますが、この片側に今も何軒かのお店が営業しています。

昭和7年の開業当時は【地下鉄○○店】といった地下鉄の名前が多かったそうですが、訪ねたときは床屋さんと靴店のみが営業をしていました。

特に靴屋さんは、地下街を支える鉄柱に囲まれ、ショーウインドーも昭和の雰囲気たっぷりの小さな靴屋さんでした。


銀座線浅草駅の地下商店街/平成20年6月

尚、東京メトロ銀座線の浅草駅にも、古い地下商店街が残っていますが、こちらの商店街は【地下鉄ストア】よりも20年後の昭和28年に出来た商店街です。

東京メトロと東武線、そして松屋デパートと接続しており、現在も20数軒が営業を続けています。

居酒屋や食堂、占いに古銭商と、こちらの商店街の方が昭和の雰囲気たっぷりかも知れません。


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