4-1.昭和6年・根岸小学校 1931 (第3章・昭和5年)← ・ → |
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昭和6年3月に、伯父は東京根岸尋常小学校を卒業しました。 写真はその時の卒業記念のもので、上は根岸小学校を背景にし、全校生徒が集合しての記念写真です。 この頃の根岸尋常小学校の児童数は1000人を超えるほどの生徒数だったようですが、確かに大勢の生徒さんが写っています。 学校の統廃合をしている今では考えられない程の人数ですが、当時はそれほど子供たちが多かったということですね。 因みに現在の根岸小学校の人数は、平成19年4月時点で576名との事で、上の写真が撮られた昭和初期の半分程度の生徒数になっています。 子供達の服装は男子こそ制服姿が多いようですが、女子はセーターを着たり、前掛け姿が多く見られます。 中には着物姿で下駄履きの女の子も見えます。 こちらの写真は校舎の外観ですが、道路には雪が積もっています。 上の校舎の屋根にも雪が積もっており、軒下にも沢山の雪が落ちているのが見えますが、これらの写真が撮られた昭和6年は、この2月だけでも、12日間も降雪があり、更に東京の平均気温が2,5度という寒い冬だったようです。 因みに平成19年度の東京の2月の平均気温は8,6度で、降雪は0回です。 この平均気温の差を見ただけでも、地球温暖化は進んでいる事が伺えます。 電柱には広告も見えますが、《菓子 みかさ屋》の文字が見えます。 また左端にも看板があり《美髪所》という文字が描かれています。 |
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こちらの写真は、卒業前の6年生たちで上野公園に行った時のものと思われます。 後には大きな門と左には丸い屋根の建物が見えますが、これは当時の帝室博物館(現国立博物館)で、現在の博物館内の表慶館です。 そして真後ろのは当時の帝室博物館の正門だった、旧寛永寺表門(黒門)のようです。 一般的にはこの旧寛永寺表門は関東大震災以降の大正末期に、博物館前から東へ200m程線路よりの輪王寺の前へ移築されたと言われておりますが、少なくともこの昭和6年までは、博物館の正門としてあった事が判ります。 さて写真には博物館前の道路も見えますので、現在の国立科学博物館と大噴水の間で撮られたものでしょうかね? 現在はこの近辺には樹木が生い茂り、こうした広い見通しはありません。
下の写真は、第2学級の皆さんと一緒の卒業写真のようですが、この根岸尋常小学校の歴史は古く、開校は明治7年です。 今年で開校133年という歴史のある学校です。 開校当初は現在の場所ではなく、近くの【西蔵院】の庫裡を改造して校舎とし、当時の根岸近隣の旧金沢藩主や大名旗本等の寄付によって開校しました。 その後、大正2年に現在の場所に新校舎が完成しますが、この頁の校舎はその時の校舎です。
【西蔵院】は現在も根岸小学校東側にあり、表門の前には【根岸小学校発祥の地】の碑があります。 また、【昭和4年・トーゴーカメラ時代】にも記載している【御行の松】の3代目が、境外不動尊内で育っています。 現在の根岸小学校の正面にも、この《御行の松》が描かれていますが、こうした長い歴史があっての事なのですね。
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