4-2.昭和6年・言問通り ← ・ → |
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東京市立第二中学校に入学した伯父は、今までに増してカメラで色々なものを撮るようになりました。 右の2枚の写真は昭和6年夏の【言問通り】で、しゃがんでいるのは中学に入ったばかりの伯父ですが、首から手ぬぐいをかけ、足元は下駄履きです。 写真の道路奥には人力車らしき姿や歩いてる人の姿が写っていますが、この言問通りは当時から既に舗装されていたことが判ります。 道路の奥(右奥)にも樹が生い茂っていますが、ここは寛永寺の境内で、中ほど左の大きな樹のある一角は、【浄名院】という江戸時代から続くお寺です。 撮影場所は何処かの家の軒先のようですが、写真右側に《たば》と言う文字と《菓》の字が見えますので、タバコ屋さんもしくはお菓子屋さんでしょうか? 下は同じ場所で撮った伯父の友人で、この時はお互いを撮り合っていたようです。 木造の民家が並んでいますが、今ではすっかり少なくなってしまっています。 伯父達の姿格好からしても夏の暑い日と思われますが、歩道が濡れているのは打ち水でしょうか? 樹木や木造家屋が多かったこの頃は、打ち水だけでもだいぶ違ったのでしょうね。 そして下の写真が現在の言問通りで、昭和6年と近い位置から撮ったものです。
【浄名院】は、垣根の部分がブロック塀に変わり、大きな樹がちょっと小さくはなっているものの、現在も同じ場所にあり、樹木はこんもりとなっています。 奥の寛永寺の境内だった部分には、現在は家屋が建ち並んでいますが、この頃の寛永寺境内は現在よりもとても広かったそうです。 左手前の木造家屋は新しくなっていますが、軒先の電柱などは、昔と同じ場所に立っているのが判ります。 お菓子屋さんと思われる撮影地点は、現在は日本書道院会館のビルが建っています。 そして道路ですが、昔と比べると、車道がずいぶんと広くなった事が判ります。 かつてはのんびりした通りも、現在は比較的交通量の多い通りとなりました。 |
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