7-4.昭和17年・近衛歩兵第四連隊   ・ 


上は昭和17年2月に軍隊に入隊した伯父宛の葉書です。
【東京市赤坂区青山北町四丁目 東部第七部隊シ隊】と住所が書かれていますが、伯父が入隊したのは青山の東部第七部隊こと近衛歩兵第四連隊です。
『シ隊とは何?』
と伯父に聞いたところ、
「あ〜これは、四分一(シブイチ)隊の略だよ。中隊長が四分一という人だったので略してシ隊と書いているんだよ!」
との事でしたが、通称【シ隊】の葉書はこれ以外にも何通か残っています。。
一方差出人は一通つは大学時代の同級生で、もう一通は大学時代の先生だそうですが、60数年ぶりに見た葉書に驚き、懐かしそうでした。
軍隊に入隊した伯父へのねぎらいの葉書のようですが、消印は昭和17年2月25日及び3月8日、そして3月10日となっています。


旧近衛師団司令部・現東京国立近代美術館工芸館

近衛歩兵第四連隊とは大日本帝国陸軍の連隊のひとつで、近衛師団の中の連隊です。
近衛師団とは、明治維新の後、天皇陛下や皇居の警護のために設けられた《御親兵》という軍隊が始まりとされ、その後明治24年に近衛師団に改称されます。
基本的には天皇陛下及び皇居の警護が目的とされますが、有事の際には各地に転戦する事となります。
この近衛師団の旧司令部が、現在も北の丸公園に東京国立近代美術館工芸館として見る事ができます。
首都高速道路の代官町ランプ近くにあり、車窓からも見ることが出来ますが、日本武道館が建っている場所も近衛歩兵第1連隊及び第2連隊があった場所です。


近衛歩兵第四連隊の石碑/平成21年10月

一方青山ですが、神宮外苑一帯の広大な地には、かつて青山練兵場がありました。
江戸時代には、出羽山形藩水野家や日向飫肥藩伊東家の大名屋敷や幕府役人や与力同心の役宅があった場所ですが、明治19年に日比谷練兵場が官公庁になった事で、この地に練兵場が整備されました。
現在のJR信濃町駅近辺から、絵画館、国立競技場、国学院高校や青山高校などの広大な外苑一帯が練兵場で、エリート士官養成の陸軍大学校もありました。
その後明治天皇の崩御によって聖徳記念絵画館や日本青年館、明治神宮球場など明治神宮外苑が整備されますが、《4-13.昭和6年頃・六大学野球》に写っているのは、昭和6年頃の神宮球場です。
神宮外苑整備に伴って、練兵場としての機能は代々木練兵場へ移行されますが、近衛歩兵第四連隊はそのまま青山が駐屯地となり、その後昭和18年に部隊は甲府へと移動してゆきます。
「近衛兵を終えた後に召集された人も結構いたな〜」
「宮城(皇居)の警護をしていた退役軍人も、教官助手として召集されていたな〜」
と伯父は申していましたが、この近衛歩兵第四連隊が駐留していたのが、現在の青山の都営団地や国学院高校、青山高校が建っている一帯です。
そして日本青年館や神宮球場近くの明治公園の片隅には近衛歩兵第四連隊の石碑があります。


近衛歩兵第六連隊跡の石碑/平成21年10月

近衛歩兵第六連隊の石碑

また、この碑の隣には近衛歩兵第6連隊の石碑もあります。
近衛歩兵第六連隊は、第四連隊が甲府に移転した後、首都防衛及び隣接する赤坂の大宮御所警護の為に昭和18年6月に新設された部隊です。


昭和35年に建てられた都営霞ヶ丘アパート/平成21年10月

石碑の向こうには、戦争が終わってしばらくした昭和35年頃に建てられた、都営霞ヶ丘アパートが建っていますが、この一角だけは昭和の雰囲気が漂っていました。


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