一方青山ですが、神宮外苑一帯の広大な地には、かつて青山練兵場がありました。
江戸時代には、出羽山形藩水野家や日向飫肥藩伊東家の大名屋敷や幕府役人や与力同心の役宅があった場所ですが、明治19年に日比谷練兵場が官公庁になった事で、この地に練兵場が整備されました。
現在のJR信濃町駅近辺から、絵画館、国立競技場、国学院高校や青山高校などの広大な外苑一帯が練兵場で、エリート士官養成の陸軍大学校もありました。
|
その後明治天皇の崩御によって聖徳記念絵画館や日本青年館、明治神宮球場など明治神宮外苑が整備されますが、《4-13.昭和6年頃・六大学野球》に写っているのは、昭和6年頃の神宮球場です。 |
神宮外苑整備に伴って、練兵場としての機能は代々木練兵場へ移行されますが、近衛歩兵第四連隊はそのまま青山が駐屯地となり、その後昭和18年に部隊は甲府へと移動してゆきます。 |
「近衛兵を終えた後に召集された人も結構いたな〜」
「宮城(皇居)の警護をしていた退役軍人も、教官助手として召集されていたな〜」
と伯父は申していましたが、この近衛歩兵第四連隊が駐留していたのが、現在の青山の都営団地や国学院高校、青山高校が建っている一帯です。 |
そして日本青年館や神宮球場近くの明治公園の片隅には近衛歩兵第四連隊の石碑があります。 |